桑の実

buonpaese2007-06-21

 スローフード協会食科学大学の学生研修の2日目だった。この日は本郷からバスに乗り合わせ、高速道路で2〜3時間ほどにある群馬県の旧榛名町、旧倉渕村(両方とも今は合併で高崎市編入)を訪れた。放牧豚の生産者・清水雅祥さんを学び、くらぶち草の会の農業を学び、現地の食材で懇親会(飲み会)して彼らは帰っていった。
 この地域は先月訪ねたもう少し麓の甘楽町も同様、昔から養蚕の盛んな場所で、この季節はそこかしこの桑の樹がたくさんの実をつけている。密かにこれを摘んでジャムでもつくろうという僕の個人的な目論見は、翌日の朝実現した。この体験から僕は、倉渕村という場所の豊かさを考えた。

 ここで有機農業を進めているくらぶち草の会という団体がある。シゴトでお世話にもなり、代表の佐藤茂さんとは10年ほど前、一緒にブータンに旅行した思い出がある。57、8歳朴訥な佐藤さんは、学生たちに「ここは何もないところなので有機農業が発展しました」とあいさつをした。1988年から3人のメンバーで有機農業を始め、そして過疎の村だから積極的に農業の経験のない若者たちを受け入れました。昔から道祖神がいっぱいあって、そして正月明けには必ずどんど焼きでだるまを焼きます……。

 高崎から軽井沢方面に行く途中、観光地もないし、高原だから山の上は開拓で、夏場の野菜栽培が盛んだが、特にこれというものもない。田舎だからのんびりはしてるんだろうなとは思っていたが、佐藤さんの「何もない」という言葉が気になって、かえてここには何があるのかなと考えた。すると高原野菜のほかの産物に、ほっとするような豊かさが見え隠れ。それを翌日知ることになる。
 朝、草の会の池田信一さんが、前日僕がした桑の実さがしの話を覚えていて、車で迎えに来てくれた。桑の樹は打ち捨てられちゃったのがほとんどで背が高く、色々樹によって味も違うしそうかんたんじゃねえんだヨから話が弾み、なんと朝早く起きてめぼしい樹を探しておいてくれたのだ。
 そこで伺った話は、今まで点でしか知らなかった倉淵の自然や人を、なんとなくではあるがすべて結んでくれたような話。池田さんの作っている、というか、一年の収穫物は、みょうが、ふき、わらび、こごみ、たら、うど。そば、うどん、やまめ、いわな、あゆ。奥さんはソバ打ちが大好きだそうで、山の上で穫れるソバと、麓のソバでは打ったときの香りが違うとか、倉淵の枝豆が最高においしくて、子どもたちも他の枝豆はあまり食べないとか、そんな話がイヤミではない笑顔のなかからぽんぽん出てくる。

 学生たちと廻った麓の松井さんの自給用のたんぼ、草の会スタッフの横倉くん(彼も一種の新規就農)が、ここにきてストレスなくなりましたと言った話や、山奥で作っているナメコ茸、池田さんの家裏にある起伏ある曲線で囲まれた畑、季節の話、雪の話。そこから「だから何」というような結論は何も出てこないのだが、結局池田さんは東京に帰る僕たちを車で高崎まで送ってくれ、その中で「ああ高崎も久しぶり。普段は家と畑の往復しかしねかんなぁ」とつぶやいたその言葉の中に、その豊かさのすべてが込められているような気がした。とてもいいご夫婦。池田さんありがとうございました。

 かんじんの桑の実は、池田さんと4本ばかりの樹を物色し家に持ち帰って小さなビン6個分のジャムができた。おいしかった。学生たちはイタリア、ドイツ、フランス、アメリカ、ハンガリー、たしかケニアの女性もいた。帰っていった彼らに、そんなことをこそ伝えられたらよかったなぁ。