食に主体的に関わる…おいしい村の輪郭線

buonpaese2010-05-26







とりあえずメインコンテンツとして別blog「おいしい村…il buon paese」をえいこらしょっと、楽しみつつ書き込んでいるんだが、その輪郭のようなことが見えた気がした。
それは、どうも茫洋としてつかみ所がないような「おいしい村」という言葉について。
このコトバ、きっかけはイタリアで出合った「il buon paese」、英語で直訳なら「a good country…良き国」という言葉の勝手訳だったんだが、これを「あ、おいしい村じゃん」と決め込んだ自分自身、その意味するところがわかんなくなっていた。伝えたい食材や地域や人、出来事の総体がきっと「おいしい村」ってこととタカくくって走ってきた現在、そのほんの取っ掛かりが見えたような気がしたのでメモっとく…

それは、食の輪郭のようなものだ。

それがあることで、その地域がわかるような食材や料理、人、出来事。食べ物のメインの部分がどんどん変化していっても、これがあるからその地域がアイディンティファイされるようなものごと。
それはその地域に限定されているようなものだが、それらが地域を越えて日本中で親しまれているような食材、料理、人、出来事ならば、たぶんその広域を括るキーになるようなもの。
食べ物や食べ方の均質化は、たとえばお米などの穀物から魚、肉、野菜などの主要食品第一次産品については、品種、生産量、流通方法まで含めてどんどん進み、中身、本質が変化している。が、こうした主食材を彩る調味料香辛料は、今なおそれぞれの地域で健在なように見える。忘れられているか、地域では当たり前でも意識に上らないか。同様に料理、食べ方、人についても。こうした主食材からみて周辺に位置する食材たち、食べ方、料理、人たちが、その地域の「食の輪郭」を構成していると思える。そうした周辺食材にスポットをあて、その地域を改めて浮上させたい。

同時に、日本の輪郭のようなものを示していきたいとも思っていた。
ふと気づくのだが、様々な食の輪郭を浮かび上がらせる作業は、その地域をはっきりさせるだけじゃなく、嫌が応にも大都市中心で経済を先行させ先行きの見えない変化を続ける日本を照らし出すことにも繋がるんじゃないか?
食になぞらえれば、主食材が日本の経済なのだとしたら、周辺に位置する「地域」は、大都市という均質化した中心軸に対する輪郭。中心軸が様々に変化しても、変化しづらい周辺たる地域が輪郭として存在することではっきりと見えてくる、保たれている日本。そんな立ち位置から、地域というものを捉え直したい。これはあくまで、地域の中の周辺であるところの食材たちをコツコツと見出していく作業のずっと先にあることではあるが、そんなイメージを抱いてもいた。

さらに、その変化を続ける大都市でも、均質化された通常のインフラではない食との接点がある。都会ならではの周辺的な食についても興味を持って、かかわっていきたい。

さしあたってはそんなところ。まだおぼろげなのだけど、「おいしい村」の輪郭線は、この3点。もちろん、「食に主体的にかかわる」ことに根ざして。