井上竹細工店…井上栄一さん

軒先で干される根曲竹

 ここが今回の旅でぜひとも訪れたいと思っていた店だ。
 井上竹細工店。戸隠の蕎麦に使うザルは特徴がある。ふつうは目が直線、スクエアに編むが、戸隠蕎麦では螺旋状に編む。最初ここを訪れたとき、店主の井上さんに聞いた話では、戸隠のザルは近隣の戸隠山など一帯に自生する根曲竹を使い、この竹が油分を多く含むと共にヒネているから、元々曲げて使うのに適していたということだ。逆に言えばマダケや孟宗竹と違いまっすぐ使うのに不向きだから、スクエアな編み方は発想されなかったのだろうと思う。

 このザル、直径20センチほどの小さなザルが1枚2千円以上はするから決して安くはない。が、前々から旅先のみやげ物屋さんで民芸系を物色して、いつも「なんでこんなに手が込んでるのに安いのかナぁ、中国とかから仕入れてるんだろうなぁ」とがっかりさせられてきたので、最初にここに来たときは感動した覚えがある。これで思い出すのが竹竿の話だ。
「竹竿なんか子どもが100円とかで買っては使い捨ててたのに、いつの間にかグラスファイバーだのカーボンだのが流行り、竹竿のしなりの良さや風合いが再認識された頃には1本何十万円もする超高級品になっていたんだ」
 ……道具が使われる頻度に合わせて職人さんの数も多かった時代があり、その後大手の釣具メーカーが席巻、ユーザーの目移りでいつの間にか手作りの良い竿を作る職人が消えていった。残された職人さんの手になる竿は既に貴重品扱い……
 そんな普段使いの職人のいない時代に、井上さんの作る根曲竹のザルは、地元の材料と人の手になる、普段使いの道具なのだ。

 前に買ったザルは大きいの1枚小さいの1枚。ウチはよくザルを使うので、安物のザルも持っているが、差が歴然としている。他は永年の使用で樹脂が洗い落とされ晒されてカサカサな感じ。スクエアな編みが生み出す平滑な表面は無難だが味気がない。井上さんのザルは最初ささくれ立ち、うねるような編み方がどうしても表面をデコボコにするから不細工だと思ったが、今では使い込まれてケバも取れ、表面はアメ色に光沢し、そのデコボコな形にも風格が感じられるようになった。
 喜喜として店に入ると、昔と同じ場所に陣取って、ザルを編む井上さんがいた。