さみずの山下和子さん

buonpaese2007-05-14

 さみず村の続きだ。昼間に摘花のお手伝いをして、温泉に入って酒をのんで、その日深夜には山下勲さん宅で話しが続いたのだが、中でも和子さんの話を心に留め置きたい……
 和子さんは勲さんと同じ故郷、さみずの幼馴染だ。そして和子さん、農家の出とはいえ、高校を出てすぐに地元の銀行(かそんな金融機関系)に勤めだす。そこで知った現実は「女の子はみんな24とか25でお嫁さんに行くもの」ということだった。これはおかしいと、いやだと考えて、和子さんは会社を辞め勉強して信大教育学部に入学(優秀!)、卒業後の就職先はお決まりコースだったので、と迷うことなく教員になる。それから何年か、生まれ故郷の三水村に着任しそこが最後の赴任先に。勲さんと再会。そこで再度、人生の選択を自ら行なった。嫁ぐことを決めたのだ。この土地での教え子は皆農家の子どもたち。出稼ぎにも行ってない、パートの現金収入もない家の子たちだった。その父兄のみんなが口を揃え愛を込めて「学校を辞めるのを辞めろ」と和子さんを諭す。どうして農家になぞ嫁ぐのか、先生でいるほうが楽なのに、農家の嫁をほつらいことないから、ウソは言わんから……
 しかしこれは和子さんなりに考えた末のこと。
 和子さん、それから4人の子どもを育て、林檎農家の嫁としての務めを果たし、地域のこと、農村女性のことを考えつづけている。
「確かに、嫁いだ後の農家の嫁としての、母としてのシゴトはつらかった」。
「だからこそ、このままじゃだめだと思って、私はこれからのことをやろう!と思ったの。もうトシだし、時間もわずかしか残されていない。最後のチャンス。今始められなかったら、2度目はムリだから」
 出来ることから仲間と共に、新しい女性のネットワークづくりヲ進めている。和子さん、今改築中の母屋の一部を借りて、新しいコミュニティ作りの話を語ってくれた……

鉄腕アトム

 昨日の夜中、NHKアーカイブ手塚治虫をやっていた。既に手塚治虫は有名人。その手塚さんが、あいかわらず締め切りに追われる3日間の仕事場を追いかけた記録。トレードマークのベレー帽とポロシャツもさることながら、有名人の手塚さんは、自分で絵を描き墨を入れアシスタントに手渡すという、おそらく無名の頃から相も変わらずのアーティストまたは職人としてテレビに映し出されていた。
 はっとしたのは手塚さんの言葉だった……
「僕はアイディアだったら安売りできるぐらい持ってるんだけど、悩んでることは、絵のことなんです」「昔は簡単に描けた“丸”が描けなくなっているんですよ。トシというか、限界を感じています。これを克服しようと毎晩頑張っているんだけど、こんなにつらい思いはないなぁ。負けるもんかと、描くタッチを変えようとしてるんです。だから最近の僕の絵はまあるいキャラクターより、写実的なタッチが多い。これ、実は丸が書けなくなったことの裏返しなんです」……こんな意味のことを言っていた。
 ナレーションでは、「手塚さんは漫画を40年やってきて今、100歳まで描き続けたいという。今その折り返し地点……」ということは、この番組の時の手塚さんは60歳ということではないか。60歳まで、かつて自分が描けていた丸にこだわる。
 それは手塚さんの中に、自分の固執するある種の理想が描かれているということだ。60歳のベテラン、しかもすでに世界に定評を得ている手塚さん。できないならできないなりに、いくらでも凌ぐことはできるはずなのに、自分と闘っている。他者をお手本とする次元を超え、自分の理想形を目指そうとする。アイディアは売るほどあると言う手塚さん、実はアイディアだけでも、漫画の台割だけとってもムチャクチャ斬新なスタイルを確立した人が、アイディアではなく“描く力”に理想を見出そうとしている。小手先ではない一流のプライドを感じた。

 翻って自分。どのような理想を胸に抱いているか。今の現実は措き、自分の理想を磨こうとしているか。何にプライドを抱くか……

 すんませんダダモレ、おそまつ!