すばらしき土佐

 シゴトで高知に行かせてもらった。農産の勉強会。その幹事役を務めてくださったのが、高生連の田中さんという人。田中さんには何度かお目にかかったことがあったが、今回はとてもお世話になってしまった。
 勉強会が終わっての夕方。ほんの30分だったが、僕をホテルに送りがてら「高知の4つの流れをお見せしましょう」と岡本寧穂の学び舎跡、武市半平太の道場跡、中江兆民の生誕地、河田小龍の生家跡の4つをざざざぁ〜と回ってくれ、維新前夜の土佐がどんな場所だったかを、僕の小っちゃなアタマに余りあるほどにざざざぁ〜っと教えてくれた。4つの流れとは、岡本寧穂の陽明学による開明的な風土、半平太による尊皇攘夷の烈しき気風、若者の血気、中江兆民の自由民権思想、河田小龍という画家が長浜万次郎からもたらした情報の先進性のこと。と、おぼろげに理解したがおぼつかない。
 高知の町は、翌日五台山という山から眺めて実感したが、思いのほかに小さく、その小さな町を駆け巡った維新が、なぜあれほどまで多くの偉人を輩出したのか、どれほどの激動をもたらしたのかを想像させてくれた。それは、人のもたらした地政学的な特異性とでも言えばいいのか。とにかく高知は、交通の要衝とか、政治の中心地とかではなく、功少ない徳川外様山内家が封じられた辺境の地であって、のほほんとそこにあるだけでは説明がつかない。
 その特異性の基底にあるのは、上士と郷士という2種の武士階級の存在がもたらす300年にわたる緊張関係ではないかと想像するが、そのうえで、人が異風を持ち込む。その度に鍛えられて行く。維新前夜の高知は、その時点でアメリカとフランスと幕府との中間という地政学的なポジションにあった。そんな特異性が、田中さんの4つの流れでなるほどと説明された気がした。
 おかげでその夜は気持ちもデカくなり、さすが土佐っぽ、酒豪の田中さんと3軒はしご。すばらしき土佐の夜だった。それにしても田中さん、博学である。昔から勉強してたんですかと聞くと「いやあ、新堀川のことがあってねぇ、それからですよ」との答え。案内された4つの場所はすべてが高知市内を流れる新堀川のすぐそばにあった。さて新堀川とは?いやはや。続く。