ベジタブルスタイル、志田惇吉くん

buonpaese2007-07-17

 前回の続きになる。新しい村、大潟村で、小さい頃から、広い広い干拓地の田んぼを眺め、感じて育った若者たちがいる。彼らを知ったのはここ3年くらい。有機農産物関連のシゴトが長いからか、最初僕は、若くてガンバってるヤツらがいるなぁ程度に彼らを遠くから見ていた。実直そうなリーダーの志田惇吉くんと、朴訥で口数少ない富田くんの2人は程なく名前を覚え、去年から「?」という違和感というか、ちょっとそこらへんの若者と違う印象を持ち始めた。

 悲しいことに、彼らへの印象が芽生えたのは一昨年の秋の台風で、志田くんの田んぼのイネが壊滅的な打撃を受け、そのお見舞いに行ったとき。
 それは悲しいに決まってるほどに、海側の田んぼが、台風が巻き上げた海水にやられ、見事に枯れてしまった。塩害といって、海水でイネに付着した塩分が浸透圧でイネの生命を保つに不可欠な水分を吸収し、一瞬(ひと晩)のうちに見るも無残な枯れ色にうち倒れてしまう。悔しさ、経済的な打撃。そして農業といえども毎年のように繰り広げられる地域間競争、ただでさえ大潟村は特殊な地域だけに、言葉にできない我慢もしたことだろう。「大潟村は入植したとき与えられる家も田んぼの面積も一緒だから、20年30年たつと、うまくいってる家とそうじゃない家の差が歴然としちゃう。でもどのうちの子どもも、おんなじ学校の仲間」。そのときの彼らの表情が忘れられなかった。

 次に彼らに会ったのは去年の秋、新潟の集まりのときだった。特に話をしたわけではなかったが、来年に向けて頑張ろうという、彼らの元気な掛け声が聞こえていた。その後大潟村でお米の勉強会があって、それには参加できなかったのだが、そうとうに勉強したらしい、今回の巡回で結果が出始めていた。相当にいいのだ。僕は、彼らによって大潟村が変わると思っている。これまでの若者と、感じが違うのだ。僕は今年の彼らに立ち会えたことを、密かに幸運なことだと思っている(続く)