大潟村の風景とこれから…信太惇吉くん

buonpaese2007-07-19

 僕が“変わる”と感じたのは、2つの要素が何とはなしに符合したからだ。
そのひとつが大潟村の風景だ。前々回書いたように、ここはもと八郎湖を干拓してできた土地だ。今でもこの土地すなわち大潟村の周囲は水路(昔の湖の残り)に囲まれている。JRの八郎潟駅からバスに乗って走るとこの水路を渡るのだが、その広大な幽玄さに惹かれた。ちょうどうす曇りで、まっすぐ続く水路のむこうがもやで霞んでいた。ここは米を巡る悲しい葛藤があった場所だが、それは僕たちの色メガネでしかないんじゃないかと思ったのがこの瞬間。そして続く桜並木の道。春にはさぞかし美しかろうと並木の向こう側に一面の菜の花畑が広い。村の中心部に入ると(僕がどうかしていたのか)まるでアメリカの高級住宅地のように見えたのだ。住居の区画がゆったり整然と並び、メインストリートの街路樹は梅、柿が美しく管理され続いている。

 後で聞いたら、桜並木は信太くんたちが幼稚園のころにみんなで植えた思い出があるという。「こんなに大きくなったんだぁ、って思いますよ」と明るく答えてくれた。昔と比べて変わったナァと思うのが、こうした変化だという。柿の木や梅の木は、村のおじいさんたちが植えて管理しているそうだ。
 おじいさんたちといえば、入植した初代の人たちだ。その人たちが今はこの土地に樹を植え、息子たち孫たちが住み良い村になるようにと丹精を込めている。そのうえで、信太くんのような若者が育っている。アメリカ西部の美しい住宅街も、かつては荒野だった歴史がある。いつかここ大潟村に、大きな森が生まれてもおかしくはない。そんな美しい時間が流れ始めていることを感じたのだった。そして広い広い空間がある。あたらしい憧れが生まれてもおかしくはない。
(続く)