モクモクファームに寄ってきた〔5〕

記号化された空間

 どの農家がどこに住んでいようと、それは消費者には関係ない。関係ない農家が消費者を呼び込もうとすれば必ず、何らかの呼びかけ(自己主張または営業)をしなければならない。せっかく来てくれた人はありがたく、心ばかりのもてなしもするし、農家として見られて恥ずかしくないよう畑も牧場も店も整える。そこに互いの“ありがとう”の気持ちも生まれる。来てよかった、来てもらってよかった。
 消費行動をコード化し、コンテンツもコード化して、両者の関係性に着目してその結節点に媒介物(コンテンツ)を置く。その場にちりばめられるサイン(看板)には一切の自己主張はなく、客が行動した理由を(客が心理的に穴埋めしたい要素)書いておく。「農村ですよ」「風力発電ですよ」「農業してますよ」……。そには記号があるだけで、何らの主張も客との交信の場面での本来的なストレスも存在しない。あるのは通過であり、行動の排泄物としてのカネだ。情報マーケティン論というか行動心理学というか構造主義的(シニフィアン=コンテンツ、シニフィエ=サイン)というか……
 そのようにしつらえられた空間で、そのなんとも言えずキッチュな農的(?)空間では、互いの“ありがとう”も存在せず当たり前のように売り買いが進む。客も客の“都合”でこんなものだと判った上だ。もくもくも“こんもの”と思っているから、これ以上の質は求めまい。だからすごい。だからカユい。このバーチャルな空間で唯一“いいなぁ”と足を止めたのは、山へのスロープの途中に掲示されていた、子どもたちの描いたブタさんの絵。
 少しほっとして巨大駐車場へのピストンバスの道すがらを帰途に着く。猫の額の牧場を再度眺め捨て、ああこの広い駐車場はきっと採草地だったのだろうな、牧場の牛が食べる草は輸入の草なのだろうなと、その明らか過ぎる対照性に、本当の農家、本当の農村はこれを学ばなきゃならないのかと悲しくもなった。それほどにスゴイのだが。おいしい村よどうする?
(終わり)