『エル・ブリ 想像もつかない味』という本を読んだ。

 本そのものはどうということはない。登場する世界に惹かれた。“エル・ブリ”はバルセロナから車で1時間、スペインは地中海沿岸の“ど田舎”にある三ツ星レストラン。シェフの名はフェラン・アドリア。そこでは“最新式”のマシンを駆使し、レシピ開発専門のスタッフを擁して、日夜“想像もつかない味”を誕生させているそうだ。

料理は情報もしくは言語

 料理は情報、言語のひとつなのだということに、あらためて気づかされた。料理人は素材の味、触感、色彩を見極め、そこから食べ手に伝えるべき何かを組み立てようとし、時には予想外の分解再構築を試みる。たとえばフェランは、トマトをミキサーにかけ、漉して液体を抽出し、無色半透明のソルベにする。トマトは赤いと思いこんでいる食べ手は、最初それが何で出来たソルベなのか分からないが、口にするとその香りと味わいに覚えがあることを手がかりに、突然「!」これがトマトであることに気づく次第。
 ここまでなら単なるナゾナゾ、お遊びネとなるのだが、味覚として完成された技術を駆使して、食べ手にどんなことを伝えられるかを考えた作品に仕上げようとしたらどうか?
 ここに料理というものが、その作り手によって、単に腹を満たす技術の域を超え、何かを表現するための言語となるのだ。それはより上質な情報となり、受け手はこれを“食べ物”として香りとともに身体に摂り込むと同時に、それだけではない情報として受信する。
エル・ブリ 想像もつかない味 (光文社新書)
 もともと僕は料理の素材のつくり手を考えるのが好きだし、大切なことと考えるのだが、ここではつくり手や地域などの情報は一旦捨象される。が、素材がどうの、地域がどうのといった情報とは関係なく、受信機となった食べ手は、様々にその人なりの反応をしてしまう。その意味をより掘り下げて伝えられる料理人の作品ならば、素材がどうのといった説明的修辞は溶け去り、それだけではない何かを感じさせることが出来るだろう。
 僕の想像だが、それは懐かしい記憶だったり、非現実的な風景だったりするのかもしれない。こうした感覚を伝える媒体が料理であるなら、その機能はむしろ美術や音楽により近い。その中で料理だけは、受け手に物体を摂り込むという行為を伴って、より直接的な反応を伴わせる。ある意味危険な表現手段ともいえるし、もしかしたら、動物としてのヒトの、より根源的な部分に訴えかける媒体なのでは? とまで思考が巡る。食べることが、身体に他者の命を摂り込む行為だということも考えあわせると……

料理は文化か芸術か

 ふつう食べ物は食べておいしかった、お腹いっぱいになったと喜ぶもの。大切なのは考えることではなく、理屈ぬきにおいしいと満腹を楽しむことだ。しかしそれだけではない様だ。
 おいしいの意味が違ってくる。料理についてのこうしたアプローチは、まず普段の、日常の料理とは既に大きくかけ離れてしまっている。どれだけ栄養を摂取できたかとか、バランスがいいかもさほど意味がなく、王政時代の贅を尽くした料理こそが一流、という価値観も消失する。料理は文化とも言われるが、これとも違う。文化とか工芸とか、職人技というより、月並みだが芸術と喩えればピタリ齟齬がないような気がする、そんな料理の世界。美術や音楽より直接的な行為を伴う、料理という芸術。それにしても“想像もつかない味”って、いったいどんな味なのか?

 フェランの出身地はこのレストランのあるカタルニアの地方都市・バルセロナだそうだ。芸術家として敢えてこの地を選んだのではなく、この地で生まれ育ち、ごく自然にこの地で店をやっていることが不思議に思える。サルバドール・ダリの描き出すあの異様な風景は、彼の生まれ故郷の風景として見るとさほど異様ではないと、どこかで読んだが、そのダリの出身地もここカタルニアという符合。ホアンミロもアントニオガウディも、パブロピカソもカタルニア……
 
<カタルニアの人は、スペインでも特に郷土愛が強いことで有名。フェラン自身、カタルニア人であることを誇らしげに認めはするのだけれど「料理人としての僕は、スペイン人である必要もカタルニア人である必要もない」と言い切る。(『エル・ブジ 究極のレシピ集』より抜粋)>
エル・ブジ 至極のレシピ集―世界を席巻するスペイン料理界の至宝 (世界最高のレストラン―スペイン編)

……やはりこの世界は“芸術”と理解するのが無難なんだろう。

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 さて、本では昔ながらのフランス料理の大御所から、料理改革(ヌーベル・キュイジーヌ)以降の料理人など、ここ30年の歴史が語られていく。読むほどに自分とは関係ないなぁとの思いも深めたが、アイルトン・セナを髣髴とさせる風貌、時代・常識を超えた探究心、“ど田舎”と“最新式”の出会いから、最近の土日は男厨と化し、らでぃっしゅ食材を駆使してエルブリレシピと格闘中だ。家族からは“想像のつく味”と言われている! いつかホンモノを食べてやる…