ネットワークというものを

らでぃっしゅを題材にして再度考えて行きたい。
この言葉、昔からよく使われてきた。“モノ提携テーマ連合”なんてナツカシイ。1994年だったと思うが、大地を守る会の藤田和芳会長を代表に晴海で盛大に開催されたDEVANDA−いのちの祭りがテーマ連合の例だろう。生協、らでぃっしゅ、生産者やメーカーなど関わるモノは違っても、同じテーマで共闘しよう!なんて、時代がかっていた。モノ提携の典型はフェアトレードのバナナ。バナナに込めるテーマは違ってもいい、でもしっかりモノで提携していこうという例。いのちのネットワークとか、こうしたコンテクストから“ネットワーク”なる言葉が使われていたように思う。個々の小さな運動も“ネットワーク”すれば大きな力になるという、何らかの運動推進の戦略的な手法としてのニュアンス、離れていても同じ価値観を持つことができるといった情緒的なニュアンスが共存していて、当時の空気がよく反映されていると思う。

一方最近ネットワークといえばすぐ浮かぶのが「コンピュータネットワーク」。LANやWANに始まり、今はWEB上のネットワークの世界がおもしろい。こちらは思想や運動という要素とはまったくかけ離れて、情報通信技術の世界のコトバ。使いようによって意味合いもぜんぜん違ってくるが、WEB2.0などと言われるようになった今は専らインタラクティブなネットワーク構築といった意味合いが大きいように思う。この場合のネットワークは個人の思想信条とか価値観とかは関係ない。関係ない前提に立った上で、現象として生まれてくるであろう何らかの秩序多様性の顕在化が予測されうるネットワークだ。

WEBの世界は本質的になんら中枢を持たない、何らの検閲からも自由であるが故に人々はこれを楽しみ利用した。通信手段として優れた能力を発揮するが故に、国はそのインフラ整備に勤しみ、民間企業もそこに大きなビジネスチャンスを見出そうとシノギを削った。その結果として今や人々をWEBに結ぶツールは日用品のように普遍化した。この日常化した世界、(原則として)何ら恣意的な介入のない世界に、これからどんな秩序が再構築されるのだろうか。それがもたらすものは旧来の秩序と何ら変わらないものなのか、それとも大きな変化をもたらすのだろうか。

僕はらでぃっしゅがこれまでに作り上げたある種の秩序が、こうしたコミュニケーションの手法を通じて変化し、しかしその大枠が変化しないことを期待したい。願わくば旧き悪弊は淘汰され、良き伝統がより輝くような変化を期待したい。らでぃっしゅという存在がWEBを活用することで、恣意的なメカニズムとしてではなく、そこに集う人々のある種の価値観の集合体として自生してゆく姿を思い描きたい。

このとき生まれる秩序すなわち“ある種の価値観”とは何だろう。それは関わる人がらでぃっしゅを通じて浮かべる何らかの期待感に他ならないのではないか?それはあくまでも期待価値ではあり、現実のらでぃっしゅとは異なるものであると思う。多様でもあろうと思う。しかしさらに掘り下げ、通底する価値観が共有されることを願う。そして僕らもこうしたことを予測しつつ、無秩序から始まったのがWEBの歴史の景観なのでもあり、可能な限りの無秩序からネットワークの構築を開始してはどうか?

曰く、有機農業ではなく農業。産地ではなく地域。ツアーではなく旅。安全な食ではなく食そのもの。そこに広義の“らでぃっしゅ的”は必ず存在しているとおもうのだが。まずは要素を抽出してみようか。


今日は写真なし。