ポピュリズム

『戦後政治の崩壊』(山口二郎著・岩波新書)を読んだ。あまり集中できず、はてどんな感想かと問われても、う〜ん。本が悪いんじゃ決してなく、自分の頭ん中が散漫だったんだろう。う〜ン、なぜ読んだのかといえば、この本の前に読み終えた『日本の食と農』(神門善久NTT出版)の中で何度も参照されていたから。神門氏が、日本農業荒廃の根本的な原因として、日本の民主主義の未成熟、というか、お任せ民主主義(とか言っていたような)的な国民の参加意識の欠如を指摘している。そこにかかれていた「ポピュリズム」という言葉が気になったというのが理由。
ポピュリズムとは何だろう。山口氏は前提として93年の政権交代前後、55年体制が崩壊した後の国内政治の状況を「戦後政治の崩壊」と位置付け論を展開しているが、その中「デモクラシーの融解」の章に「ポピュリズムナショナリズム」の項を設け、いくつかの説明を試みている。まず現象として思考忌避、現実逃避、善悪二元論、不平等・差別の是認などを挙げ、こうした状況を「ポピュリズム政治」がマスメディアを通じて拡大し大きな勢力を形成する、といったことだった。
55年体制は「保守、改憲、安保支持」の与党自民党と「革新、護憲、安保反対」の野党社会党の対立の安定構造のことを言うそうだ。自民党は政権維持ギリギリの1/2議席社会党は護憲ギリギリの1/3議席をそれぞれ維持したものだから政局が長く動かなかったとのこと(wiki)。それが冷戦の終焉と共にどんどん溶けていっちゃったそうだ。93年の与野党逆転細川政権の頃のことは覚えている。高見裕一氏が「新党の風」ブームとやらで代議士になっちゃった年。確かにその後の政治は、溶けていったなぁ。それはどうしてだったんだろう。山口氏の本にも説明はあるが、う〜ん、という感じだ。
しかしポピュリズム。何か心当たりあるナァ、バルトかフーコーか、何かもっとグサッときた内容に突き当たったことあるような気もするが覚えてない。にしても、「ポピュリズム」という言い当ては政治だけじゃない、今の全体状況にとても関係していると思う。不思議なことだがこれだけ情報が氾濫している世の中なのに、周囲の会話のワンパターンなこと、反復される毎日、ニュースがどうしてこれだけ画一的なのかなど気が滅入る。
世の中の複雑さは既にヒトの身体のキャパを超えている。なだけに、世界の出来事を情報のみに頼る必要あり。知ることそのものに疲れるのはわかるが、キミたちキミたち、疲れてるんだねぇ、もっとカンタンに考えればイイんだヨなんて甘い言葉にでろんと寄りかかる。無思考に。って悩む純真にオマエ変わってるヤツだと無言排除の網かけて、互いを監視してる。ってことになってること知ってるヤツも、知らんフリしてるなぁ。
こんな要素もアタマに入れて、僕が過ごし感じた90年代00年代、しっかり整理しよう。
と、次は丸山眞男へと進むのだが。