これ以上は困る

以前読んだ水関係の本に、世界的に水資源が争奪戦の様相を呈している状況に対して「水はニーズか権利か」という命題が提起されていた。単なるニーズであれば商品として、その行く末は企業の手に委ねるべきだし、権利であれば国、国際社会の責務として擁護されなければならないという議論。
昨年決裂したWTO農業交渉では「食料への権利」を軸に南北間の利害対立が明確化したという。「健康で活動的な生活を送るための安全で栄養のある食料へアクセスできるということは、すべての人が生まれながらに保障されるべき権利である」。これは今を遡り1976年に条約化され150カ国が批准した社会権規約に示された条項だそうだ。食料を単なる商品とみなし国家を横断して天井知らずの利を追求する多国籍企業穀物メジャーと、自国の輸出を補助し輸出先の障壁を完全撤廃せしめんとするアメリカを主軸とした食糧輸出先進国の高圧的な姿勢。水も含めて同根の問題だ。
たぶん、アメリカが実現しようとした世界の先には破綻が待っているだろうが、当面は水も食料も何でもかんでも商品化し証券化して、目先の利を得たいという誘惑に世界は引っ張られ続けるのだろう。南を搾取し続けるという矛盾と同居しながら、べたべたと制度や政策をつぎはぎして、悩みつつも、酒を飲んだりテレビを見たり、恋をしたりで現実を忘れる時間をしっかり確保して。
……さてさて2つのオプティミズム。世界で実際に起こっていることを見ないクセをつける。何から何まで自分で完結するクセをつける。いずれにせよ今の僕に“権利”などを主張する資格もないが、いまさらのように世界の悲惨さに落ち込み、身近な出来事のかけがえなさに感じ入ってしまう。簡単に言って、これ以上壊されては困るのだ。まだ壊れていくんだヨとなると、守ることや新たにつくることをしなきゃなんないのだ。そうした側にいかなきゃなんなくなるのだ。