はる

buonpaese2008-04-13

 春なので、少しキモチを守れるような場所を見つけられそうな感覚が生まれているような気がするので、という訳ではないが、ふと谷川俊太郎の“はる”という詩を思い出した。あああんな詩があったよねと突然思い出したのだが、それは最近フランスの本ばかり読み始めていたからなのだ。
 パリ祭というフランス国民の祝日があるそうだ。毎年7月14日、1700年代後半、ルイ16世専制政治の終わりを告げるパリ革命を祝う行事ということになっている。このお祝い事は国民の祝日として国が定めてはいるが、お祝いをしなければならない、とは強制されていない。国は「それぞれの自治体が可能な限りの賛美をするべきである」と示すに留めてあるのだが、革命以来200年の長きに亘り、時代時代の状況変化はあるものの、可能な限りのお祝いが続けられてきたそうだ。
 谷川俊太郎を思い出したのは、この「可能な限りの賛美」ということばからだった。
 大げさかもしれないのだが、ああフランス人は、多分心の中に“賛美”という言葉を宿しているのだなと僕は想像した。それはキリスト教以前の、白い森、黒い森、ボヘミアの森が豊かに支配していたころの欧州大陸、妖精が棲み、人々の心に美というものが、太古の神様と共にいたころの記憶に、その“賛美”ということばを重ね合わせてみた。そこで浮んだのが谷川俊太郎だった。

はる
はなをこえて
しろいくもが
くもをこえて
ふかいそらが

はなをこえ
くもをこえ
そらをこえ
わたしはいつまでものぼつてゆける

はるのひととき
わたしはかみさまと
しずかにはなしをした


 写真は僕の好きなフランスの写真家、ロベールドワノーが切り取った1950年代のパリ。
 僕たちは何を賛美したらいいのだろう。
 否定に継ぐ否定の果てに勝ち残った価値観を認め、否定された価値観を、それでも歩んでいくために、道の途中で棄てていかないとならないような時代に。
 谷川さんはよく、赤んぼうをモチーフにした。赤ちゃんも神様を宿しているから。
 流れの中で自分は何をするといいんだろう、自分は何をなすべきかを自分に課すことは、逃れることの出来ない定めではあるのだが……