竜馬がゆく

buonpaese2007-11-04

 10月26日に福岡、27日に島原、28日は長崎を経て野母崎、29日は山梨竜王、30日に岩手陸前高田、31日に仙台を経て東京に戻った。11月ばたばたと東京で日を過ごし、この10日間ほどの車中を、ずっと『竜馬がゆく』と一緒に過ごした。きっかけは10月頭の高知行。出会い話した高知の田中さんに案内された新堀川周辺の史蹟4つと、五台山の牧野植物園から見渡した美しい高知のまちだった。
 何度か足を運んだ高知では感じなかった、意外と小ぢんまりとまとまった小都市。こんな小さなまちから、世に名を残した偉人たちが何人、都に上っていったのだろう。その驚きもあり、その小ささと大きさのコントラストを何かになぞらえたくもあり、司馬遼太郎竜馬がゆく』8巻を読んだ。
 北進一刀流、黒船到来、攘夷思想から尊王倒幕を以って薩長を同盟させる一方、幕臣勝燐太郎を見通し開国論を併せ持ち、土佐の辺境から三百諸藩を見つめるように、日本から世界を考えた。財政の独立なくして思想の独立もない、と天下孤独の脱藩浪士として世の関わりから亀山社中を得、海援隊を組織しつつ、大政奉還の無血革命を目途とし、船中八策を上奏して民主の礎を構想、事成るかの半ばに倒れた開明の人。
 これで学生の頃から数えて4回読んだことになるが、終章「近江路」に気づかなかったくだりがあり記しておきたい……

「いそがにゃァ、ならんぜよ、いそがにゃ」
 と唄うようにいった。京の情勢が竜馬の足をいそがせていた。大げさにいえば歴史が竜馬を追いたてているといっていいであろう。
「おれには、こんどの仕事が最後になる」
 竜馬は、近江富士の異名がある三上山を前方に見ながらいった。この仕事を終え、あとは西郷、大久保、桂、三岡らにすべてをまかせて海へもどることだけが、いまの竜馬にとってただひとつの願望になっていた。
 街道は晴れていた。竜馬がゆく。岡本と藤吉が追いすがり追いすがりしながら、湖畔の野を歩いた。

 広い、広〜い、こころざし。
 司馬さんの文筆爽やかに、この10日間自分の心持も爽やかだった。