地球畑

buonpaese2007-10-13

 有機農業。なんかいやになるが、僕がこうした業界に身を浸すことになってもう15年?いや17年ほどになる。最初は日本リサイクル運動市民の会という団体が発行する『くらしの木』(なつかしや!)のデザイナーとして関わったと記憶しているが、その当時の有機!の勢いに押され、不覚にも農家の皆様とのお付き合いを始めることになり今に至っている。この点僕も主体性が乏しいな。
 いやになる、と言ったのは、この僕が今日、昔はこうだったああだったと書きなぐろうとしているから。昔は良かったんである。それは様々な可能性が語られていたときであり、それぞれに「僕はこう思う」と思ったことを実行し、試行錯誤しては失敗も成功も認め合っていたような時代だった。運動家も芸術家もビジネスマンも学者も政治家もジャーナリストも農家志望もマジメな人もフマジメも女ったらしも一生涯独身も5人の子持ちもバツイチも放浪者も金持ちの息子も料理人も東大出も未成年もみんな揃っていた。日本で有機農業が認知され始め、どうだろう80年代後半から90年代中ごろまでのあたり、おもしろかったなぁ。
 マーケットの拡大フェーズで好きなことが出来てよかったですねぇなどと、当時を知らない奴から言われると、そ、そうなんだよね僕らいい時代にいたんだよねと頷くことがある自分も情けないが、当時は拡大基調でうつつ抜かすというより、この機に世の中変えてしまうんだなどと先輩たちはアジっていた気がする。
 それが終息したのは94年ごろのDEVANDAや、いのちの祭りあたりだろうか。そこから数えても10年を経た今。僕らの棲む世界の表面は、少なくとも様々な生き様が交錯するような場ではなくなった。有機農業推進法が成立したことを認め喜ぶ流れは、有機農業が農業の一形態として認知されたことを評価するが、同時に生き方を共に模索する流れとしての有機農業は僕の目の前から少しずつ抜け落ちていったような気がしている。
……うわあ話し出すと止まらん。ホントは9月8日からの鹿児島旅の続き、かごしま有機生産組合の運営する地球畑荒田店隣のカフェ“草原をわたる船”というステキなお店の話をしたかったのに……つながるんだけどなぁ……