種の旅…岩崎政利さん

buonpaese2007-06-26


岩崎政利さんのお話は続く……

■外国の種が根付くこと
 そういうふうに種というのを考えるときに、種そのもののすごさ、アブラナ科の種って、ものすごく小さいんですよね。その中でカブなんかもっと小さい、そんな小さい種がですよ、自らの一生の中の全てのものを含ませてるっていう、あの小さな種のなかにたくさんの情報がつまっているという。ですから、私は種に予知能力とかすばらしい力があるという、それは農家によって変えられると、今までの自分の実感から感じています。
 それはたくさんの外国の種が私のところに試作を依頼されてきていますけれども、そんな種というのが、もらった年はほとんど生育をせずに、やめたり、というまさにその力を発揮しない。ですから中国の方とも種苗交換をしてたくさんの種をいただいたんですけれども、種苗部会にいただいて、たくさんの農家が試作をしたんですけれども、結果的に、試作したけどもほとんどの野菜の特徴が出ないまま、やめてしまった、ということがありました。しかし私はもう一回自分で種をとってみよう、ということで、もう一回次の年種を蒔いたんですけれども、
 ところがですよ、中国からきたときにはまともな生育をしなかった野菜が、次の年に自分の畑で花を咲かせて種をとっていくと、今度は見違えるように姿を変えてくる。そのことに、やはり種というのはそういう情報、風土、そういうものをですね、情報的に詰める能力があるから、そのことが自家採種のなかで非常に大切なこと、繰り返しその地域で種を取り続けていく、その大切さをですね、外国の種を依頼されるたびに試作するたびに感じているわけであります。
■種の旅も大切に
 この中にも、外国からやってきたものがたくさんあるわけですよね。白菜にしても、中国チンゲンにしても、あるいはターサイにしても、たくさんの種が外国から来てるんですけれども、非常に生命力が強くて有機農業に向いているということで、私は外国の種であっても、有機農業に向いていれば残すようにしています。日本にない、というものも逆にいかされる、ということで大切に守っているんですけれども。ぜひ日本の種だけでなく、門戸を広げて、遺伝子を守るためにこれからもいろんなものを試作していきたいなあと感じています。
■種を旅に出そう
 やはりその、種を旅に出そう、ということで訴えてきているわけですけれども、やはりその、かわいい自分の子のように旅に出そう、荒地とか、山の、人の手を加えていない荒地とかに簿本を植えて、花を咲かせてその力をたくわえさせて、自分の畑に返していくという、そういう種取りは、まさに農民にしかできない、贅沢な最高の種取りができるのではないかと感じています。
 そしてそういうふうにその、種とはまさに門外不出の大切なものでありますけれども、私は門外不出の種であってもなるべく人にあげるようにしているんですよね。種というのは、人類みなの共有物ではないかと、たくさんの人に守られていくものではないかと、そんな気がします。どんなその地域にはすばらしいものであっても、風土と人が変われば、同じものはできないはずですから、あまりかたくなに自分のものとして守っていくのもどうかなと、なるべくたくさんの人に私はあげるように、そして皆で守っていくということでやっています。
■風土にあった種を育てる
 それからその、野菜は風土で姿を変える、と私は思っているんですけれども、3年前に三重県愛農学園高校で関西の有機農業生産者が自家採種の勉強会をしたいということで、私の種を愛農学園に預けて、愛農学園の生徒が先に種を蒔いて、自家採種の勉強会の時に収穫できるように栽培してたんですけれども、さすがに長崎と違って三重の愛農学園は寒いなあと、寒さにこごえながら学習会をしたんですけれども、
 ところが同じ種がですね、たった1年でですね、1年もせんうちに、私の長崎で育ってる姿と、愛農学園の農園で育ってる姿がたった一作で違ってきてるんですよね。
 たとえば、青首大根の、これは自家採取で育てた大根ですけれども、この肩がそんなにないんですけれどもこれが一作でもう三浦大根のように肩がなくなって、寒さに耐えようとする姿を見たときにびっくりしまして、わあ、これはすごい植物の本能だな、と。ちゃんと野菜というのはその風土に合おうとしている。野菜は風土で姿を変えようとしている、それがその種のすごさ、大切なところ。
 ですから、いかにその農家がその風土にあったものを育てるには、種を育てなければとその風土にあったものはできない、その風土にあった種で育てるからこそ、風土にあったおいしいものができることが判明しまして。
 私の畑ではできの悪い天王寺カブとか、三浦とか、畑菜とか、私の畑ではだめだったものが、すばらしい姿に、あ、これはこの地のものだから、この地に向いていたんだな、と。そういうから種というのは風土で形を変えるし、また種を増やしています。それを知ったときに、また種のすごさ、大切さを感じました。