門外不出の種…岩崎政利さん

buonpaese2007-06-25


■門外不出の種
 私のところに京都で伝統野菜を作っている方からいただいた壬生菜と畑菜があります。その当時私はタキイ種苗の壬生菜と畑菜をつくってたんですが、それがもう本当に揃いが悪くて、彼がたまりかねて「岩崎さん、これだめだよ、そんな壬生菜畑菜、どうもならん、私の家の門外不出の種をあげる」ということで、さりげなく私にその壬生菜と畑菜の種をくださったんです。
 その種がですね、やっぱり作ってすごい、これこそ農民が心をこめた自家採種、育成した野菜であるとますます感動を受けて、私は非常に大切に守ってきたわけです。
 ところが昨年、彼が畑菜をもうやめたと聞いたんです。私はショックは受けなかったですね。しめた、と思ったですね。これは、長沢さんの先祖伝来の種をいただいて、長沢さんやめたときいて、あ、これは私のところにしか残っていない、と。半分しめたと思って。こういうことは喜んでいいのかどうか知らんですけどね。
 こういう大切なものを彼は一生懸命守ってきたんですけれども、今のスーパーには受け入れられないという問題がありました。非常に黄ばみが激しくて、遠距離的な流通には向かない。しかしこれは食べて非常においしい、特に寒さが厳しくなってくると葉があつくなって非常においしい。小松菜と比べても非常に柔らかくて甘みがあっておいしい。寒くなるほどおいしい、というものだったんです。私は売り方を考えれば、近場の農家だったら、こういう伝統的な野菜は残っていけるかな、という感じはしています。

■自家採種の本当の目的
 こういうふうに種とつきあって、10年近くなるんですけれども、それぐらい長くつきあってくると、野菜の種というより、こう、自分の家族、自分の子ども、自分の分身であるという気持ちになってきますね。
 あるとき京都の伝統的な野菜の仕組みを知りたいということで京都で学習会を開いたんですけれども、そこへ、長年自家採種をしている樋口さんという方に講演を依頼して、私も彼の話を聞いて感動した面がありました。私と一緒で、農家だし、そんなに話は上手ではなかったんですが、彼が種の話をする瞬間に彼の目から涙がポロポロとね、話をしながら涙ぐんでおられた。自分で自家採種した種の話になるともう、涙がポロポロ、話をしながら涙が出る。
 これはなんなのか、ただそれは樋口さんは先祖伝来、家に受け継いでくる種を思うことによって、その種を守ってきた父、あるいは先祖の方、その方をたぶん思い出されたと思うんですね。その種がその農家にとって宝ものであるという、まさにそれは門外不出の種であるという……。
 ですから、京都の門外不出の種が一般的に出回っていかないという、まさにそれがよくわかりました。そんな種が世の中に簡単に出回るはずがない、だから私も本当は欲しいけれどもいただけないという、そんな大切なものをおいそれと分けてくださいとは言えなくなってしまって……。
 自家採種の本当の目的はそこにあると、農民にとってすごい心の問題であり、非常にその、農業として楽しい部分が、たくさんあるような気がしているし、種取りには農民の特別な、大切な思いがあるんだと思うのです。