千年働くという本を読め

 27日、磯田さんから「千年働くとかなんとかの本読んでね」と言われた。BM協会の『aqua』書評らんの原稿依頼だ。この前は3月号でスローフードのことを書いた、その続きの依頼。といってもギャラはないけど。
 その本は宅急便で送ってくれるそうで、届いてから読むしかないが、気になって検索したら、これかなと思う本に行き当たった。
千年、働いてきました―老舗企業大国ニッポン (角川oneテーマ21)『千年働いてきました』という本がそれだ。レビューで想像するに、どうも最近のITベンチャーの対極にある老舗企業の物語であるらしい。なるほど。椎名さんはこんな本を読んでいるのだな。『aqua』はBM協会の機関紙であり、BM協会は農業に携わる生産者を会員とするネットワークなのだからとうぜん書くべき書評は生産者が読むことを想定するものになる。


 千年働くといえば老舗企業もそうなのだろうが、親から代々畑んぼを受け継いできた、世襲の中で生きてきた生産者が一日の長(?)という気がしたが、さてその内実は戦後の農地解放以降の農業者保護で育った二種兼業農家花盛り現象だ。さてこの点どう解釈するか?
 第二に、千年続いた老舗企業にはブランドというものが残るが、農業には残るのかという点。一昔前までは「あのウチはいまだに百姓やってる」とか、ぱっとしない職業だったのだから。
 第三に、やはり「価値観」ということに触れなければならないだろう。企業なり農家なりが千年続くのに、壮大なロマンでは続かない(結果論を最初から信じることはできない)と思うし、その過程では可能性を育ててきたと同時に様々な妥協を続けてきたのだ思う。そこに千年と通して共通普遍の何かがあるとすれば、当たり前すぎて目的化できないことと、壮大すぎて体感できないことの両方なのかなと想像する。だから人間の想像力の器に入る範囲内で、当たり前すぎないことが抽出されないと、千年働くことの価値の何らかを伝えることはできない。百論されつくしたテーマとなってしまうので、そんな「価値観」をどう解釈して伝えるかはポイントだ。
 
 ……さて、本を読まないうちに決め込むのは(?)なのでここまで。敢えて書いたのは、読んだあとに僕自身の考えがどう変化しているかも知りたいからだった。