今日は日記、ということに。

梅田望夫さんのblogだと日記はwildcardかな。何でもありということで。前冗談でシャチョーのOさんから「オマエはワイルドカードだからなぁ」と言われたのも思い出したりして。

さて今日カイシャではぼそぼそとシゴトをこなし、前にBM技術協会事務局長の磯田さんから依頼された機関誌AQUAの原稿を書いた。内容はこのblog両全で書いたイタリアスローフード協会の運営する食科学大学の学生研修について。気楽に引き受けたのはblogの内容まんま使えばいっかと思ったからで。でもマジメに考えるとこれ自分の感想文じゃん。とあせって全部書き直したのが今日だったの。で、仕上げてみるとレポート調というのはツマラナカッタ。磯田さんゴメンナサイ。

考えるに紙媒体は文字数の制約があって自分の筆力のなさも手伝いどうも窮屈。blogはだらだら書けていいなと思うのは自分がだらだらしてるからか。と、思い出したのは夕方Uさんとした立ち話。これからは文章の書き方変えていかなきゃって話を出した。自分の文章は組織っぽい書き方なんだよねぇ、と自分で自分を自己批判

そうなのだ、僕は組織型の書き方をする。全体を体系立てて、整理して、リクツを組み立てていくアプローチがつまらないと。これは大切なんだと自分では確信しているのだが、一方通行でどこに向かって誰を相手にして書いてるのかわかんない。コミュニケーションを無視している? 内心では体系立てたものの考え方を相手に出して、共有してその上でお互いの自由な意見交換が始まると勝手に思いこみ続けている。

先にルールを作った方が勝ちとはどこかで聞いた言葉だが、勝手にルール作っちゃってもまわりはよけて通り過ぎちゃうじゃんか、それじゃ話が始まらないじゃんかよぉ。しかもこれ見よがしにリクツっぽいことぷんぷん臭わせてると、何というか最初から近づいてもらえないというか、嫌われるというか……

いいんだそれでと決め込んでいた時もあったが、今改めて「書く」という行為を道具として使いこなそうという欲が出始めている。いいことか悪いことかは知れず。しかし既存の価値観ぶっ壊してもういちど組み立て直す修行にはなるか。いろんな意味で。中身はきっと変わりませんが、書き方伝え方を変身させるのはよい。しかし思想は言葉から生まれるというから、やはり中身も変わっていくだろうな。キツイな。でも変えていくんだ。というか使いこなす。使い分ける。相手に応じ。う〜なんだかヤだな。

結論。やはり変わることはいいことだ。変わらない場所に身を置くことはできない。戻るのはもう少し先にしよう。wildcardだし。


写真は「森の学校」の工作室にぽつんと置かれていたおさかなくん。鹿児島県川辺町、旧長谷小学校の跡地を利用した体験施設「森の学校」は、今また跡地になってしまったそうだ。Radixの会で実施した「食の文化祭」発想の原点。