気持ちを保つことに

限界を感じる、ということはよく経験する。

僕の場合必ず集中が切れる、気持ちがいやになる、となると、ふにゃふにゃになってへら〜となって、もういいやっとなって沈んでいく。そして沈んで日を過ごし、その日々の中からまた何かが生まれて、また気持ちが高まってくる。多分この沈んでいる時期に自分の考えていることと、外との調整をしているんだと思うが、ダメなのはガマン強くないから、人間関係の調整がゼロからやり直しの繰り返しになっちゃうことだ。

最近思うことがある。

自分の考えの調整先が正しいかどうか。調整をしたつもりが意見が合わないことでいやになることがある。また、これも自分の性格だが、相手と利害が対立する場合、敢えて自分の利を獲得し切ろうとしないが故に、あきらめやすいこと。最近これがダメだと思うのだが、この場合、あきらめたあとでも自分は正しくあり続けるのだ。これらを総合して考えると、調整先が誤っているとは考えずに調整相手と利害が対立してあきらめ、心の中では何も反省しない自分がいるということだ。

さてこの連続でいよいよきわどい状況が自分にもたらされているとする。まあこれまでの自分の場合、切れるのがパターン。もう知らねぇゾと開き直るだろう。しかしもうそうは問屋が卸さない。状況が変化しても、今自分が進もうとしていることは進める。ただし調整先を、より範囲を広げて考え直す。そして必ず成功するよう真剣に知恵を絞る。新しい場を作る。その場を拡大させる。

具体的な自分の旗をしっかり立てることだ。その旗は今の船で立てる。今の船で立てることができ、その船でなくともはためき続け得る旗だ。どのくらい集中できるかなぁ。どんな旗を立てるか、仲間も必要だ。

しかないな〜


写真は宮崎西都市にある石井十次の生家の庭の花。木城町にで農業をしている小泉正浩さんのおじいさんが世話になり、それ故彼の家はクリスチャンである。