今日は911から5年の日だ。

あの日の朝のテレビの映像をよく覚えている。と同時に忘れられないのが、同じ2001年9月11日、国内初のBSE感染牛の発見が報道されたのだ。このBSEもいまだに尾を引く大きな社会問題に発展したワケだが、あの911ショックで霞んでしまった格好だった。

よく911前と後では社会の枠組みそのものが大きく変わったと言われるが、自分の関わる食べ物の世界も大きく変化していったように思う。それ以前にも所沢ダイオキシン問題や東海村原発事故、環境ホルモン問題など、前世紀末の段階で、現在に至る基底音があったワケだが、このBSEを境に、ダメ押しのように様々な問題が発覚していった。

思い出すだけでも、SARS、雪印偽装事件、鳥インフルエンザ、中国産野菜の残留農薬問題などなど、生活の基本である食への不安が一気に吹き出したこの5年間だったように思う。社会はその不安への対策を求め、行政は様々な法律や規制で対応していった。一連の流れを今振り返ると、この対応が一糸乱れずグローバルスタンダードに依拠していたようで、WTOにコントロールされながらHACCP、ISOから有機JAS法などを産みだし、それまでついぞ一般の人々が耳にしてこなかった「認証」という概念も今や標準語の地位を固めつつある。

こうした風潮というか社会の趨勢のなかで、食べ物の作り手は売り先から山ほどの証明を求められ続けた。不安を消し去れない消費者の危機意識は当然であった。が、証明書や制度でしかその不安に応えられないこの社会の合意形成のシステムそのものに、作り手たちこそ大きな不安を感じ始めていた。証明書とか、書類とか、数値化さ標準化という価値判断の中には作り手の主体性はおろか、そういうものに依存せざるを得ない、それを食べる人の主体性も消失してしまいかねないからだ。
この年の年末、僕は作る人と食べる人の交流する場、作る人同士の交流する場として、顔の見える関係なるコトバの内実を証明しようと、交流の取り組みを開始することになった。おおもとの考え方は、「不安」に対置される語としての「安心」は、相応のコミュニケーションなしには成立しない、というものだ。その相応さ、どの程度の範囲までのものなのか、どの程度ゆらぐものなのかについては、まだよくわからない。が、それは「文化」という概念にまでは拡大させることができるだろうと考えていた。

主体性の不在、文化の不在という意味で、食を巡る問題と、911がもたらした問題は極めて共時的とは言えないか?思えばこの年の8月26日、911の2週前。屋久島在住の詩人、山尾三省さんが亡くなっている。


写真は2001年11月、三省さんにお線香をあげにいった時の屋久島の海。なんか美しい。