きのう今日と、電車の中で

ささぁ〜っと2冊の本を読んだ。両方ともGoogleをテーマにした本。ひとつはハウツー本で、かの朝日新聞社から出てるヤツ。もうひとつは新書版でgoogleをネット世界の成功者としてその戦略を紐解く、という趣向のものだった。へぇなるほどと読み終わったが、やはり世界は変わっていくのだなぁ、というのが素直な感想であった。

ハウツー本のほうはとにかくgoogleはいろんな使い方ができて便利だよすごいよ使いこなそうね、というもので、ナットクするほどに読者はgoogleの僕と化していく感じだ。かくいう自分もいろいろな意味で感染した。自分のPCの中をgoogleのように検索できるソフトが無料でダウンロードできたり、メールからブログからみんなタダ。う〜んグーブログ始めたばっかなのに乗換えよっかなとまで思う始末。もう一方の戦略フムフムの新書は、google社を破壊者と捉え何でもタダの背後に巨大な収益構造があることを指摘、その源たる広告収入源がアマゾンと同様、所謂ロングテール的分布を示していて、これが既存の広告手法や媒体を凌駕しかねず、あのマイクロソフト社すら危機感を抱いているそうだ。ここからサーチエコノミー(検索経済)なるコトバも生まれたという。

へぇ〜googleにはそんなウラ(?)があったのね、そりゃそうだとナットクするとともに、普段から自分が気にかけている文化と文明の問題(これについてはどこかで書きた〜い)が思い浮かんだ。まさしくWWWの世界は文明なのだということと、僕たちはその文明≒インフラのなかで、どのような文化を生み出すのだろうかということ。文明の利器が生み出されるたびに世界は変わっていったと言われるが、僕たちはその変化の時代にいて、ワクワクし、時に困惑しながら生きているのだ。

それにしてもハウツー本と戦略本の示す内容のなんと落差の大きいことか。僕はgoogleのタダで便利な使い方を知りささやかな喜びを得るが、同様の何億人の無料ユーザーに支えられて莫大な利益を手にするベンチャー企業は、それを元手により大きな勝負を仕掛けていく。わはは。ちなみにgoogleの語源はgoogolだそうで、10の100乗を意味するそうだ。わはは。


写真は石垣島に鎮座するレインボーシーサー。わはは