ニコニコ通り


20日はシゴトのとちゅう。急ぎ足で青森の駅周辺を歩いた。弘前より大きな街区なのはわるがどうも肌寒い、のは天気のせいでもあるのだろうが、やっぱり青森駅は終着駅、青函連絡線とか、津軽海峡冬景色とかのイメージもつきまとう。いやそんなことはないヨ、ビルは新しいし、海辺には美しい公園もできている。賑やかとは言わないが、気のせいだと思うけお、とあれは先入観だと振り払って案内所に行く。朝市とか、地元の人々がにぎわう昭和の面影あふれる懐かしい町並みとかで、もらった観光地図にはニコニコ通り。おお明るい楽しい、地元の食いモンでも見に行くかと歩く。




で、やっぱり寂しかった。駅から歩いてたったの5分。入り口を入ると魚や野菜の市が立っているのだが、閑散。店の人もまばら、客はもっとまばら。並ぶ魚はアンコウ、アイナメ、タラ、ホタテと北の魚たち。店の台には解体された切り身が乱雑に散らばって、アンチンボルトの様相とはおおげさだが、う〜ん話しかけるのもなんとなく憚られ、そそくさと通り過ぎ、上は振り返りざまの一撮。

どんより重たい曇り空、外は寒かったけど、市場の扉の中も、それは別の寂寥(?)。これが真冬だったらそれはそれでぴったりイメージにハマって、雪に埋もれて気にもしなかったようなディティールが、恥ずかしいように露になっちまったというか……

たしかに昭和のそのままがここらへんには漂ってた。と言うと、その昭和は多分、ボクも小さかった30年代ごろのような昔の姿。カラーフィルムもなかった、「幼い私」がいくつも焼き付けられた、モノクロームの印画紙の向こうのような世界に、いやこれはたった今の現代、2010年の今なんだと、つけまつげの女の子が道端を歩き過ぎていった。

人が一生懸命に働いていることは多分、都会も田舎も変わらないだろうに、この違いは何だろうか。海あり山河あり、恵まれていることは疑いようがないんだけど、森も水も人々もぜんぶ、誰でもがじかに触れることのできる豊かさ、春夏秋冬のストックが輝くように溢れる場所なんだけど。でもかなり寂しい風景だった。
東京は何でもあるが、さてボクが触れることができる豊かさはどれほどだろうか。触れることがない豊かさを眺め続け、豊かであるように錯覚し続ける可能性もある。たとえばこの青森でもいい、そして東京も含めて、こんなふうにして見える、見た目のきらびやか、寂しさに、さしあたりすべて、眼ぇつぶってしまって、見ないことにして、考えてみるというテを使って、まあ、言おうとして言えないことを、確認するというのはどうかな〜