翼よあれが巴里の灯だ

buonpaese2009-02-13










休みの日、前に録画していた映画『翼よ、あれが巴里の灯だ』を見た。よかったー。話の筋はとても単純。無名の飛行機乗りチャールズ・リンドバーグが、世界初の大西洋単独横断を志して成し遂げるまでの物語。時系列に淡々と。記録映画みたい。何がよかったのかなぁ、いい時代があったんだなぁ〜と。

しがない郵便飛行のパイロットだったリンドバーグが、大西洋横断一番乗りに賞金が出るのを聞きつけ、田舎町セントルイスの知り合い、銀行家に資金集め、(映画なので事実がどうかはともかく)「君の心意気に負けた。だから飛行機の名前は“セントルイス魂号(Spirit of St.Louis)”だ」と気前のいい資金提供を受ける。その資金でこれまた田舎の無名、職人気質の飛行機メーカーが昼夜を問わずの突貫工事で知恵と工夫と地元女工さんたちの献身で完成させた、名機ライアンNYP-1。その機体はシンプルで美しい。

あいにくの雨の出発となった飛行場には多くの人々が前夜から激励に訪れた。睡魔と闘いながら横断飛行を続けるリンドバーグの回想では、初めて自分の飛行機を買った話、オンボロ飛行機乗りとしてアメリカ国内を渡り歩いた話、同じ境遇のヒコーキ仲間と出会った話などなど。ニューヨークからパリまで海岸伝い、低空飛行で、人がいれば手を振り、方角がわからなくなったら「パリはどっちだ?」と聞いちゃう。海を渡ってアイルランド、そしてセーヌ河の河口を見つけて川伝い、まごうことなき大都会、パリの灯を見つけ、不時着のように空港に降り立った。快挙は20万人のパリ市民が出迎え、ニューヨークへの凱旋では400万人の大パレード、紙ふぶきの嵐でFIN、じゃなくてアメリカ映画なので“The End”。
……ずーっと淡々とした、演出を避けなんの変哲もない単調な描写で事実を追う。でも事実のひとこまひとこまが、いまの時代では考えられないような、なんと言うか人間の良心に依拠してるというか、ずるさがないというか、疑うことを前提に作ってないというか、ストレート。そんな流れの最後、わずか1分もないラスト、モノクロの紙ふぶき、ニューヨークのパレードの、ここだけが映画じゃなくてホンモノの実写映像、で一気にノックアウト。泣いた。
要は、たった一人の人間の成し遂げた快挙を、当時のアメリカ市民がこぞって祝福した事実に、心が反応してしまった。
冒険への祝福については、堀江健一さん、野田知祐さんも、何でも国の責任と事なかれ主義の役人大国日本と、自由と自己責任の国アメリカでは決定的に違うと日本の国の貧しさを嘆いたりするし、植村直己さんはスポンサー(確か大手広告代理店のDツーだった)へのプレッシャーから遭難し帰らぬ人となった話も聞いたことがあるが。
時代は1919年に終戦を迎えて戦勝国アメリカ、1927年。好景気だったけれど、2年後の29年の世界大恐慌が忍び寄っていた。飛行機の歴史で見るとライト兄弟の初飛行が1903年、14年からの第一次大戦では複葉単発の戦闘機、アルバトロスだのソッピースキャメルだのがぶんぶん飛んでいたのだから、27年の当時は払い下げ中古品で気ままな商売をするリンドバーグのようなヒコーキ乗りがいたんだろうな。リチャードバックが『イリュージョン』で描いた時代もこの頃のアメリカだし、サン・テグジュペリの『夜間飛行』はこの時代のヨーロッパ南米間の郵便航空路開拓の物語だ。ちなみに『夜間飛行』の発表は1931年だ。第二次大戦がはじまるのが1939年。たしか大富豪のハワードヒューズがカネつぎ込んでコンステレーションっていうむちゃくちゃカッコいい4発プロペラ流線型旅客機つくっちゃったのもこの頃だし……。
と考えると、エアポケットのような平和の時代が大戦間の20年、ということなのだな、と沁みる。それと空の開拓という意味では、志す者のフロンティアが大きく開けていた時代だったということ。誰にでもチャンスがあった時代。しかし多分、この時代を懸命に生きていた人々の美しい夢とは別に、世界はさらに不可逆の変化を強いられていったのだ。

それともうひとつ。あこがれの場所、それがパリだったという時代。とうとうパリに来たぞ、パリなのだ。行ってみたいな、パリ。僕もいつかパリに行こう。