釜炒り茶

 僕は熊本県泉村のFさんをある本で知った。Fさんは在来の釜炒り茶、“青柳”を泉村でただ一人つくり続けている方だ。その本には、今の時代にお茶の生産者の苦悩が、Fさんという方の存在を通じて煎茶そのものの状況と共に描かれていた。それは3つの流れでFさんの現在に結びついていた。
 時代の流れ。
 お茶の生産にとって戦後の60年は小規模生産を駆逐する流れだった。全国のお茶農家が量産のきくやぶきたという品種に改植し、大型機械の導入と併せて大規模化していった中で、在来種の茶樹が消えていった。荒茶という形態で生の茶葉を乾燥調整するまでを行う茶農家の製茶機械も、その生産量の増大に伴い大型化し、効率化、大型化の利く蒸し製茶が席巻していった。そんな中で、九州で昔から行われてきた釜炒り製茶機(といっても鍋なのだ)が廃れていった。消費者の知るお茶の味も画一化していき、消費の簡便化と共に、紅茶やウーロン茶、ペットボトルのお茶も飲まれるようになった。日本人が急須のお茶を飲む習慣そのものが薄れていった。
 熊本の山奥で小規模生産、香りが身上の在来種を釜で炒るスタイルを貫き続けてきたFさんは、迷っていた。今の消費者に訴える釜炒り茶の道を、その製法において迷っていた。
 水色や香りではなく、多少のにごりがあっても青々として旨味を出す深蒸しという製法は、茶樹が本来備える香りの広がりを殺青(茶の酸化酵素を失活させる)によって止める。一方釜炒り製法は、茶葉をある程度の時間を置いてから製茶する製法で、生の茶葉を萎凋させ、酸化酵素の働きで茶が持つ香りを良く生かすことの出来る製法で、この萎凋を利用するのが中国のウーロン茶や紅茶にも連なる。

 釜炒りの身上たる萎凋が、どの程度許されるのか?

 Fさんの地元でお茶を作る農家はまだいる。製茶は製茶上任せで茶摘みを専らとするので茶の仕上げや味にはもう関与しない。そのお茶は茶商を通じて他のお茶とブレンドされ、今の消費者の知る、予定した味に整えられて市場に出まわっていく。釜炒り本来の味は消費者には届かない。しかし、萎凋を強く打ち出したお茶は、日本のお茶として消費者の支持を得ることが出来るのだろうか。青々とした旨味を伴う深蒸しのお茶は、本来の日本茶とは思わないが、時代は既にその自分の考えを捨て去ってしまっているのではないか。
山奥の小規模生産農家が、自製の釜で炒ってつくる茶は、既に過去の遺物なのか。