新規就農

buonpaese2008-01-30

 ここのところ新規就農の方々に会い続けているためか、そのすばらしさや、昔思っていた農業へのイメージとの距離感や、いろいろ考えたりしていた。
 まずそのすばらしさは、農業とくに最近の有機農業で新規就農というパターンは、様々に問題化している今の社会構造に対して、心理的に打たれ強いポジションであるのかもしれないなぁという点だ。リクルート、社会勉強もそこそこ、早々に自分のケツを自分で拭けるようにすることだと割り切って、さっさと都会暮らしに見切りをつける。
 ほんの10年ほど前なら、新規就農はタイヘンだヨそう生半可な覚悟じゃ続かないヨとなぜか新規就農を積極的に受け入れようという自治体が先頭にたって門戸を閉ざしていたような状況。農業に憧れを抱きはしても、だいたいこの入り口で挫折して、ああやっぱサラリーマンしていくしかないのかぁとあきらめる。このパターンは郷に入っては郷に従え方式で、就農者の面倒は自治体と地元JAあたりが見なきゃならないから、その土地で一番無難な作物の修行から入って、販売はJAまかせ。覚えなきゃならないことは山ほどあって、下げなきゃならない頭も腰が曲がるほど。さすがにツライ世界なのは話にも聞いた。
 僕が最近であったパターンは、それぞれに紆余曲折もあるのだろうが、現在方向性は至ってライト。小面積で効率よくハウス栽培をきっちりこなして現金収入をできるだけ安定化させて、残された時間を自分のために使う。ある人物はそこに自分の手作りの世界を打ち立てたいと夢を語るし、ある人物はサーフィンや潜りなど海に関わって暮らしたいという。まあ、それができるのは、販売先がある程度確定していて、下げなくてもいい頭も下げずに済むという幸運がセットだったりするのだが、それも彼らの器量というものだ。
 昔とは違い割り切った、ライトな就農が可能な技術が備わっている前提なら、こうした形でなら営農が可能だし、場合によっては個人営農である必要もないと、こういうスタイルを企業化しようと仕組みを構築中の起業家もいる。小面積で作業を効率化し、不必要なことを切り捨てる経営感覚でなら、やはり理解ある販売先があれば成り立つ可能性が出てきている。なんと言っても昔ながらの農家の方々は場合により経験がじゃましてしまい、それまでの何十年という投資が災いしてか、なかなかシンプルで効率的な営農ができない点も、彼らライト感覚の就農者にはチャンス到来、という感じもする。


 へぇ〜、たいへんなのだろうけど、いいねぇ〜、てな感じだ。
 僕は、できればの話しなのだけれど、10年後でよいので、そんな新しき農家の中から、新しい思想が生まれることを期待したい。通りいっぺんの評価はしたくない。彼らの土、彼らの時間に、彼らが100%向き合う中から育つ、深い人格にめぐり合いたい。そうして育ついい家族に出会いたい。彼らの始まりは、ひとつの大きな夢、大きな可能性なんだからなと、しっかりと、都会に暮らす自分には戒めたくもある。教えて欲しいことがやまほどある。