茂木健一郎さん

 ここ半年マニアックに農家学者もとい脳科学者の茂木健一郎さんのことを気にしていた。先日ネットで偶然茂木さんの講演会があると知り応募、抽選というのでハズレたかなと忘れた頃に当選ハガキが自宅に舞い込み行ってきたのが今日。最前列から2列目真正面。茂木さんを“見た”。
 誕生日が明日、45になるという。話はリズムがタテノリで“笑い”というか“微笑み”の絶えない、楽しい講演会だった。内容は新聞協会の記念講演ということで新聞メディアについての話。結構感じ入ってしまった。話の内容というより、茂木さんの知力体力気力。とりわけ気力に感じた。そして彼が裸であることも感じた。裸であることを前提に、人や社会に対する最低限の礼儀を備え、臨機を備えていることに感じた。裸に身を置いて自身が常に磨かれていることを確かめるように、真剣に言葉を搾り出していた。とは言っても、知力の点で彼の引き出しは広く、知を吸収してきた歴史が独特(と思った)なのも手伝い、ボキャブラリーが豊富だししゃべるスピードも淀みなし。要は彼の気力の強さは裸であること、これだけ有名になっても決して何かの権威または他者からの枠組みなどに乗っからない立ち位置に敢えて身を置くというスタイル、がそうさせているのだと思った。僕は自分を反省し、素直にこの人物が好きになりやした。
 話の中で重さを感じたのはメディア論ではなく、癇を少し含みつつ彼がこう話したことだ……

ジャーナリズムはギリギリのところで公正な判断をしなければならない…そのために、たった1行のために命を賭けることが新聞という媒体の命脈だと思う。科学者の場合ディタッチメント(認知的距離)、人によらず命題を評価できる能力がこれにあたる…この芯があれば新聞は生き残る…僕の場合の芯はクオリア。僕が作ったノーベルという単位(1ノーベルはノーベル賞1個)で言えばクオリアは100ノーベルの命題。これが僕の使命なので、これがあるから何やっても何やらされても動じないでいられる…

……この前提で不確実な未来に不安を抱いている人は気をつけなさい、不確実すなわち偶有性に満ちた未来にワクワクする、期待することが(脳科学的に)正常なんですヨと言われたから、ギクリ僕は不安抱いてるなぁと思わされる。ワクワクする健全な脳は確実と不確実のバランスをとるもので、確実の部分であるところの安全基地(secure base)が大きいほど不確実に対応するキャパを積み増すことができる。すなわち自分の確実不変のスタンダードを持っている。と話を進めた追い討ちに「暗いこと言ってる人考えてる人って大体自分のスタンダード持ってないことが多い」とまたギクリ。
 ここまで来て、自らを語り人に勇を鼓舞する茂木さんの姿勢、胆力にも感じた。なかなか言えることじゃない。トリニティカレッジの話とか僕らにすれば雲の上の経験してるのにイヤミに聞こえないんだ。相手の頭がいいとか悪いとかじゃなく、自分の気力を磨いて裸で話してる真心があるからかな、と。
 下の落書きは茂木さんとは関係なし。今自分が描いている、僕にとってのクオリアのこと。その下は積乱雲がぱあっと去り晴れ渡った十勝での感動スナップ。今日聞けた茂木さん話きっかけに、すこし自分の心の雲が晴れるかと期待を込めて……