ワイルドワン 田中和正さん

buonpaese2007-08-28

 うん、ワイルドワンって、昔スージークワトロが唄ってた歌のタイトル、たぶん隠語かなんかなんだろうけど、この言葉が浮かんでしまったのだから仕方なし。田中さんのことだ。
 前回の続きになるが、田中さんは長崎の出身で、工業高校かなにかの先生をしていたそうだ。そういう生活がイヤで家族共々富良野に移住しりことに決めたんだよ、と聞いて、うん田中さんは昔先生だったのか、そうか田中さんはまじめな高校の先生だったんだなと、そのとき僕の田中感が定着したことを覚えている。一念発起、富良野に来たのはいいがしばらくは掘っ立て小屋住まい。男とはいえさぞ大変だったろうななど想像し、現在の暮らしにまでたどり着いた田中さんに、よかったなぁなどと感じ入ったりもした。

その後付き合いも重ねるうち、田中さんが長崎でも手作りのログハウスに住んでいたことを知る。「いやああのころは大村湾がさー一望にできるところでさー景色よかったなー」と昔を振り返る田中さん。あれ、まじめな高校の先生だったんでは?とかすかにイメージが……。富良野で建てたのはあれが2個目。確かにログビルディングって、はまると次はこんなの造りたいとかとめどもないとは聞いたが、田中さんもそのクチ?というか、もともとワイルドな自然児なのだこの人は。富良野第一号母屋のログハウス建てたと思ったら翌年にはキャラバンハウス、その翌年は広いウッドデッキがしつらえられて、少し離れたところに今度は作業小屋の骨組みが組まれていた。WWOOFERの受け入れも開始し、キャラバンハウスも営業を始めている。この間ホウレンソウ用のビニールハウスが大風でぐしゃりつぶされる事件があったり、収入源のじゃかいもがソウカ病でほとんど穫れなかったりと大波小波を乗り越えながらの進展。

 どうも「北の国から」に引きずられて、何か暗い一大決心でもされて富良野に…などど思い込んでいた自分もアホっぽく、いやあそうでもないよ、そんな楽ではなかったさぁと、北海道弁で明るく答える田中さんが逞しく、ある面健康的なしたたかさを感じたものだ。強いなーワイルドワン。