岡本太郎美術館

 日曜日に家族で、雨の中だったが川崎に有る岡本太郎美術館に行ってきた。しずかに感動した。その記録からはネクタイ姿で精力的に時の現代芸術を突進していった観のある岡本太郎さんの迷いない言動を、その作品からは定型のフォルムという概念を(やはり明確に)捨て去って「これはありだろう」と見出していった岡本芸術のフォルムが時間軸でどういうふうに形作られていったのかを、その過程の真剣さを感じた。そして作品が巨大化していくことに、表面上躊躇がないことと、しかし必至の形相でその緊張と戦っていただろうことを想像した。岡本さんの形づくっていった人間関係の外側がその内面から充実していった流れと、作品の外側が、その緊張関係から充実していった流れが納得できた気がした。
 この日ポスターでも画集でもなく本を2冊買って帰ったのは、撮影禁止の空間で、しかしこれは作品ではないからいいだろうとパチリ写した岡本さんの言葉が気になったからだった。

それは紀元前何世紀というような
先史時代の土器である。
驚いた。
こんな日本があったのか。
いや、これこそが日本なんだ。


 僕はこの日、美というものと知というものがこんなふうに出会い、いつもアーティストの心を充たしてきたことを、あらためて思い出そうとしていた。『芸術は爆発だ!』『今日の芸術』。この2冊を読むのが今から楽しみだ。