自民党の新憲法草案

 国民投票法が可決されたのだった。朝まで生テレビ憲法を論じていた。田原総一郎は、安部総理大臣を「前代未聞、歴代の総理で 初めて改憲を打ち出したばかりか、次の選挙で改憲を争点にすると言っている。これはあのタカ派の中曽根さんすらやらなかったことだ」……これはつい一週間前のサンデープロジェクトに出演した土井たか子さんが言っていた「総理大臣は憲法を擁護しなければならないと憲法99条(と思った)で定められていることから、安部総理は憲法違反」と符合する発言だ。生テレビでは慶応大学の小林節教授がハッとする発言をしていた。この方は30年間改憲論者で、その方が自民党の新憲法草案をハッキリと批判していたのだ。なるほどと憲法バカの自分も心に留め置きたいと思った。

 国民は国を愛する責務があると定めている。政権が国民に対して国を愛することを強制する条文である。国民が国を愛するか愛さないかは国民の勝手であって、政治がよい政治を行なって国民が国を愛するようになるのが民主主義の基本。海外派兵の是非を憲法に定めず、外国との交戦権を法律に委ねるとしている。交戦権を認めるか否かをこそ憲法に定めるべきであり、時の政権に対する統制を行なうことこそが憲法の役割である。
 ……この2点において、小林さんは、自民党の草案に対して、法治国家、立憲民主国家としての論理を逸脱している、ぞっとした、あきれた、と言っていた。

 国を愛せと憲法が強制する。愛国、愛国心という言葉があるが、誰しもが、強制的に愛することは不可能だ。仮に、国を愛していない者は国民ではないとされたとき、国を愛しているのだからとされたとき、その次に国は国民にどのような具体的な強制を行なうのだろうか。
 戦争の是非を法律に委ねるとは、時の国会すなわちその国会を支配する有力政党に委ねるということだ。例えば時の政権が自民党である場合、いつもながらの強行採決で法案が可決され、派兵が強行される。好戦的な政党かそうでないかで国民の生死が左右されるとはどういうことだろう。というのは、戦争をしないことだけは、日本は守らねばならないと思うからだ。武力で外国を侵略する可能性を容認する憲法があっていいはずがない。

 憲法は、生存の権利と権力から守られる権利という最低限の国民の権利を保証するものであって初めて機能するものなのだろうが、愛する愛さないを強制すること権利の保証を侵害するだろうし、時の権力に生死が左右されることは生存権を侵害するだろう。このような憲法を受容する日本の国民はまたは日本は、特殊な国家体制だと言わざるを得ないのではないか?

 今の自民党は、他のこともそうだが、こと憲法についてはイヤな感じがする。その後こんなblogを発見したので付記……

憲法問題を考えるBlog
小林節教授の“転向” http://www.doblog.com/weblog/myblog/76849/107#107