土ではなく風で、旅で

 今日はどこに行ったのではないが、夜更かししてネットを20分ほど旅していた。
 グリーンツーリズム地産地消、農村などのキーワードで検索した結果を、まあ眺めていたのだが、気づいたことがあったので。
 どのサイトもだいたいが行政がらみか、そうでなければどこかに拠点をおいて「おいでおいで」してるサイトなのだ。旅してる、いろんなところを見てる知ってる、というようなものは(たかが20ですが)見当たらなかった。不思議に思えた。で次に10分考えた。その結論は、僕が「おいしい村」と呼んでいるものは、定点的なものではないのでは、ということだった。むしろ流動的で、いろいろな地域を知って触れて感動したい涙したい、その同じ気持ちを抱いて旅してる人に出会いたい。ということのようなのだ。
 すばらしい場所、すばらしい人がいる。その景観を、その人を応援しよう、と思うのだが、同時に、そのように考え、憧れ、捜している人に出会いたい。僕はお手軽にも、知らず知らず、そんな意識をもってネットをうろついていた訳だ。
 とすると、それは旅のことだろう。その土地に暮らすことではなく、僕はおいしい村を結びながら移動していくイメージを持っているのだろう。有機登美雄さんの“地元学”が示す風の人、土のひとの分類で言えば、僕は風とされる。昔この言説に寂しいような抵抗感を覚えていたことがあったが、旅人と土地の人が違うのは当たり前のことだ。それを今日感じていた。
 おいしい村は、風でもあるのだ。それを勘違いしないようにしよう。