新潟のとある山里

にあるNPOかみえちご山里ファン倶楽部の帰り、海沿いの魚屋さんでアンコウを買ってしまった。

 実はこの前日、NPOでアンコウ鍋を振舞われていて、味噌仕立ての野菜盛りだくさんの、土地ならではのゼイタクさに感動した割に、いつもの習いでボクは酒を飲むと料理が食べられなくなるので、これもいつものごとく、ああ食べときゃよかったと悔やんでいたものだから、これは買いだと考えたのだが、さばき方がわからない。でしばらく店の前にいて買っていく人の様子を眺める。のだが、まずどの人も無造作に「コレとコレね」とか言って「アイヨッ」とばかり至ってシンプルに買い物していくのだ。
 店ではこのほかプリプリ、ピカピカの真サバ、イワシ、カレイ、それとこれでもかとカニカニカニ。僕は16年来、野菜調味料は自分のカイシャで買うことに決めているのだが、魚だけは近くのスーパーでシロウト目利きしながら買っている。だから東京の値段は大体知っているつもりなのだが、ここはどれも新鮮この上なく、どれも破格の安さ。それを地元の人は当たり前のように、しかも丸で買っていく。ああ文化の違い、置かれた環境の違い。

しかし。値段が東京の3分の1以下

であること間違いなしのこのお店、いったいそのカラクリがどこにあるんだろうと、その翌日カイシャの水産担当のIさんに喫煙室で立ち話で聞いてみると「ああそうだよねぇ。あれ獲れ過ぎちゃったりしても東京の荷受け関係にすぐ流れないから、やっぱ旬のときは、サイズが小さかったりすると、地元で流すんだよね。よかったじゃない」とのたまう。まあよかったのだが、なぜ安いかの意味がまだよくわからない。シゴト関係の水産メーカーさんも昔言っていたが、「国産の水産資源がないないと言うけれど、ホント漁師が捨てちゃうような値段で出してるときあるんだよな。オレらメーカーだから、中間に漁協とか入ってるから自由に出来ないんだよね。で漁師っでのはお百姓と違って蓄える発想ないから。獲れるだけ獲っちゃうから、安いだ何だとか言いつつ、捨て値で出しときながら、やれ漁業補償……」とまあ、安い新鮮な魚は、あるところにはあるようなのだ。業界のグチはさておき、きっと安いと知りつつアンコう売っているお店の人も、決して喜んではいないのだろうなぁ、と。ならば喜んでるのは地元の消費者だけかというと、さてどんなものだろうか。

 話を戻す。丸のアンコウどうさばくかであった。

ふつう東京などでは、

下調理いたしますとかなんとかで、3枚おろしとかあるのだが、この魚屋さん全くそのそぶりがない。で、勇気を振り絞りおっちゃんに「これさばいてくれま…」と訊ねるが早いか「ぶつ切りで大丈夫よ」と返された。見栄っ張りのボク「じゃどうしようかな」と手ごろなヤツを指差し1匹1080円なりたぶん2.5kgぐらい。破格の安さ。を購入してしまったのだ。「氷はタダだからソコにあるから自分で好きなだけ入れて持って帰ってね」だって。
 ま、なんとかなるだろとタカを括り家に到着。「アンコウ買ったぞ」と女房は開口一番「どうするの?自分でやってよね」とすげなく。よおしじゃあやってみるかとまずはパソコンルームにて「アンコウのさばき方」で検索。おっあったゾと見様見真似、ヘンケルの文化包丁で挑戦。

土地鑑のない人に目印のない道順説明

 コレはなかなか。どう例えればよいか、え〜っと、土地鑑のない人に目印のない道順説明する困難さに似て、どうもなんといたらわからないぐらい、アンコウはヌルヌルで、要所要所スルド牙やトゲがあって、キモチ悪かった。大格闘。さばき終わった段階で「もう二度とアンコウは丸で買わないゾ」と決めた。あまりに疲れたのでその日はこれ以上何かする気も失せ、じゃあ明日料理するかという気も失せ、もったいないことに冷凍庫にしまってしまったのであった。
 これを料理し家族でいただいたのはその1週間後。この間、ツーキン電車で読んでた本に偶然アンコウの料理を発見、食欲復活。スペインはバスク地方の料理法。あまりにうまくて、出刃包丁買いたくなりました。またいずれ書きますね。