ルー語変換って

 どうも笑ってしまった。とあるblogに「ルー語変換」とあり、?と思い、何か新しいweb用語なのではないかとはてな検索し、知ってしまった。知ってる人は知ってるだろうので説明は省く。
 ルー語変換は2パターン選べる。テキストデータやhtmlデータを走査し、あらかじめ登録されたキーワードをすべて日本語読みのカタカナ英語に変換するのがひとつ。例えば“今日”を“トゥディ”、“先月”を“ラストマンス”というように。もうひとつは変換されたキーワードのフォント、大きさ、色ををランダムに変換させたものだ。
 笑いすぎたので敢えてまじめに書いているが、“ルー”というキーワードがあるだけでこの笑いが生まれていることが発見といえば発見だ。この“ルー語変換”でウケた人は“ルー”がフックになっている。変換後のテキストがまるで“ルー”だからだ。自動化されたプログラムから生まれるテキストが、使用者の思い当たる“ルー”そのものであり、裏返せば“ルー”本体それ自体が、自動化されたパターンにより動いているということでもある。
 仕組みそのものはカンタンそうなので、同様な手法で様々な方言の“方言変換”なども可能だろう。こうしてできた基本形に、どのようなランダムさを加えていくかで“らしさ”も生むことが可能で、作者のセンスも組み込まれる。
 この“ルー語変換”。ルー”というキーワードがあることで笑いが生まれるだけでなく、その笑いが共有され、話題化され増幅する過程については、深くは論じられないが“ミーム”という概念が胸中引っかかった。言語化されていない笑いが、何らかのコードが介在、増幅し、これを共有するネットワークが生まれる。
 だから何?ということは今のところないのだが、とりあえず変換(※)してみてください。

信濃町ふじさと

 やっとだ。この2、3年、蕎麦に縁がうすく、今回さみずに来たので、行き帰りに3件まわることができた。蕎麦は何と言っても信州。それも県北がうまい。この地域の蕎麦を知り惚れ込んだのは、かれこれ10年も前だろうか、豪雪地帯で有名な秋山郷を訪れた頃。山里にはまっていた頃で、美麻、鬼無里、小川、栄(秋山郷がある)と何度も通った。食べ物はおやき、山菜、きのこ、蕎麦。立ち寄った先で人に出会い、話を聞き、酒を飲み、僕の「おいしい村」の原点もこの時期に辿ることができそうだ。

僕にとり蕎麦の聖地。犬も歩けばうまい蕎麦にぶち当たるといってもいい。長野市から北のこの地域はそばがうまい。だから、長野から新潟にむかう国道、車を走らせながら「そば屋に飛び込みた〜い」とキョロつかせつつ進んだ。ところがこの日の目的地、さみず村まで来ても行き当たらず。で右折すべきところをパスし走らせ出会ったのが“手打ち蕎麦ふじさと”。
 店構えも雰囲気も、東京でなら敬遠まちがいなしの、とってもフツーなお店。変哲なし、国道沿いの店。軽トラとタンポポが似合う。でもここらの蕎麦への信頼は絶大で、にっこり微笑みつつ、心を浮き立たせつつ、のれんをくぐった。「天ザル大盛り」。慣れたふうを装い、しかし静かに興奮して待つこと10分。「お待たせぇ」と店のおばちゃん、愛想なし。店の造りからおばちゃんまで、ここでは手打ち蕎麦なんて普段着の当たり前の。午前11時。客の影もなしだが、店内のすっからかんさ加減は外の天気の晴れやかさと相俟って颯爽、夏の木陰の風情。さあ食べよう、と写真撮るのも忘れ箸をつけた自分に気付き、整っていた蕎麦の並びをちょっと乱しつつパチリ。

うま〜〜〜〜〜〜〜〜い………………
 
 着飾らず、器も何もかもが安普請。でもうまい。ニ八と思うコシ、しゃっきりひんやりの食感。つゆは返しがやや甘だが、薬味の地ねきの細い刻みとぬめりもい〜な〜。たいしたタネでもない天ぷらも、この土地でよく出されるシシウドが入ってる。あ、久しぶりに来たんだなとの実感が沸いた。今僕は信州にいるんだと。とくにこだわったでもなさそうなタクアンをカリッ、も何故だうまい。
 普段のふつうの食にうまい蕎麦が当たり前にあるところ。蕎麦の打ち方食べ方もふつうにレベルが高いところ。そんな場所が今もあるのがうれしい。つるつる、ぺろっ。ごちそうさ〜ん。