家族、料理、本、畑。巡る時間

buonpaese2009-08-17













3月3日の日記更新からなんと5ヶ月が経過した。

シゴトの部署が変わったのがきっかり3月2日の月曜日からだったから、それが理由で僕もblog辞めるんかなーなどと思ったりしつつ、正直とても気が楽な5ヶ月だったように思う。

それは日々の暮らしの肩肘張った部分が抜けた、とも言えるし、何のためでもない、自分の時間を生きているという自由な日々、とも言えた。日々はただ朝起きてカイシャに行き、仕事が終わったらウチに帰り、休める日はゆっくり休んで、家族とただただ楽しく過ごした。付き合いをほどほどにこなし、口角泡を飛ばす議論も必ずほどほどに、暮らしている意味は単純に、人と楽しく過ごすことや、息災を心がけることのように考えて、それもまたいいなーと。

この間の楽しみは全く、土日の料理を中心に巡っていた。そして月に一回は20冊ほども買い込む食べ物関係の本から呼び起こされるイメージに(特にツーキンデンシャの中)満たされ、思うに任せない自家畑の作物の世話に費やされて、そして今までになかったような健康と、食事を中心に交わされる家族との会話や、そんな日々の物語があった事を仲間との時候のあいさつに埋もれさせる、いわば無名の歓びに満たされて、時間が巡っていた。

仲間との会話では、まるで互いに何も起こらないことを確認しあう中で時が過ぎることで緊張を緩めてきたようだった。家族との会話では、極端にこれまでの距離感が縮まり、とても濃密な季節を共有しているように、笑顔が絶えなかった。いまこの時がどれだけ貴重な時間なのか、このような、瞬間でしかない季節をいつまで共に過ごせるのか、そしていつまた、苦しく辛いような時代を迎えるのだろうか、など、この時を過ごしている自分のこの時を、別の自分が眺めてもいた。

このような5ヶ月の巡る時間のすべてが、特にカイシャの時間とは全く分離されて、描ききることもせずに、僕の記憶に濃密に留まっているのだ。