おいしさと、脳のなかの感覚統合

…複数の感覚が統合される過程で、統合の対象となっている感覚からは類推が利かないような、新しいクオリアの次元が生み出されるのが、感覚統合のプロセスの本質…味覚に限らない。我々の感覚とは、既存の感覚の組み合わせが、全く新しい感覚の次元を生み出してしまうことで広がりを獲得している…おいしさとは、まさに、感覚統合の芸術なのである…素材を集めて、料理をするということが、まさに人間の本質のど真ん中にある営為であるように思われてくる…食べるという官能の世界の中にこそ、新しい体験の次元を求めてやまない、人間の尽きることのない探求心が潜んでいる…

……おいしさと、脳のなかの感覚統合より
 昔も今も不思議に思うことがある。それは人類というか、人間が何百年何千年も、常に新しいうたが生まれ続けることについてだ。量産される流行りのうた。歌詞も曲も、その基底に流れる主題は、人生46年も生きているので、ああ昔も今も若者の主題は一緒なのだなぁと思ったりもするが、それにしても節回しや楽器、その使い方、歌う人間の微妙な個性の違いで、やはり常に新しい。
 例えばここで自分は、音楽という長い時間の流れでその傾向を聴き取ると同時に、歌っている個人の音楽についての経験の範囲や嗜好も読み取ろうとする。それは、その音楽の新しさが歴史時間においてどのような経験の蓄積の上に成り立っているのか、またその個人の経験がどのような蓄積のされ方でそのうたにたどり着いたのかを類推するようなものだ。
 なぜこんなことを考えたのかというと、音楽についても、茂木さんの感覚統合の説明があてはまると思ったからだ。幼い頃聴いた曲のクオリアが、音楽だけでなく音についての様々なインプットの蓄積がその人の音についての経験であり、そこからのアウトプットは新しいクオリアを生み出す料理。そのようにして生まれた数々の音楽に囲まれ更に新しい経験が重層をなし、その追体験が再生産されていく過程が音楽の歴史。これはアートでも何でも、人間の構築するすべてのことにあてはまるだろう。