書評キーワード

フューチャリスト宣言』を読んだ。茂木健一郎さんと梅田望夫さんの対談で、全体感としては「今の社会は知的に解放されていない」「webで世界が明るくなる」「次世代を育てて生きたい」というような話を柱に、すでにweb進化論で開陳された予定の世界が追認されている風情。「そうだよね」と互いが同意しあう場面が多く読み飛ばしたくなったりもしながら、それぞれのリアルさ、真剣さが場面として、言葉遣いとして時々見え隠れもして、情報というものに自己の責任を持って発言するメタな次元の厳しさが垣間見れたのも対談なればこそだろう。一読して忘れてしまうような内容ではあったが、最近クセになっている書評キーワード(読みながらラインマーカーつけちゃうこと)で追いかけてみた……

「ネットって何なのか」ということを、グーグルが発見した
ワクワクしてはいたけれど、可能性が現実にはなっていませんでした
ネットは歴史上存在する最も巨大なグラフ構造で、それが日々膨張していて面白い
凝りに凝ったようなインターネット上のデザインが、むしろダサいものに見えてしまいます
インターネットの成り立ちのところに、利他性というかボランティア精神的なものがかかわっている
インターネットの世界は、私の言葉でいう「偶有性」…に満ちています
スモールワールド・ネットワーク性(一見遠く離れているものどうしも、少数のノードを通して結ばれている性質)
シリコンバレーのルーツは、フロンティア精神、テクノロジー志向、反権威、反中央、それからヒッピー文化、カウンター・カルチャーというか、そのへんの組み合わせといえますね
権威と闘う道具としてのテクノロジー
Insanely Greatというのは「めちゃくちゃすごい」とでも訳すのかな、アップルCEOのスティーブ・ジョブズの言葉です
アップルというのは世界史の中の三つ目のリンゴだという話
コンサバティブなことを言うほうが最後は負けるだろう、そのぐらい世の中が進歩することが経験的にわかっている
文明の力動には結局逆らえない
インパクトのある言葉を使って意味のある議論を引き起こしたり
僕は専門性を定めて目的を決めた上でネットと対峙している
「この人たちは大事だな」という人をネット上で発見していく
だいたい僕は朝四時か五時に起きるのですが、八時までには、昔だったら丸一日かけしていた仕事が終わっていると感じることが多い
ちょっとしたことだとグーグルに吸い込まれていくんですよ
枠の構え方が大きい
少なくとも、文化活動をしようという人には、不特定多数の「声」にさらされているという荒々しい体験が、ネット時代の通過儀礼だと思うんですよ
結局教育って、ポジティブなものを与えるということ以外に何の意味もない
中途半端な自分がコモディティ化してしまう予感があった
アンダードッグ
マヴェリック
リアルで満足度が低い人ほどネットに関心をもつ、という相関関係がある
経験から言って、ネットへの興味とリアル世界での満足度というのは反比例するという確信にたどりついたんです
怒りを創造性に結びつけると、すごくいいものができる
アクセス元の分布を世界地図上で表示した解析結果を見たときの開放感は忘れられません
もうひと皮むくとあとは何も無いというギリギリの言葉遣いを意識的にしています
心脳問題
僕は、自分の著書についてのネット上の感想を全部読んでいるんですよ
人格の陶冶
ブログを書くのは、修行みたいな感じ
自分で人体実験をする。それは自分の責任でできる
本というものがある種の役割を担っていく
古典的な教養というものは、復活するんじゃないかな
我々は脳を研究しているなかで出会った「偶有性」という概念がネットほど具現化されたものって、人類の歴史上、存在しないんですよ
食べる喜びなんて、おなかがいっぱいになっちゃえば終わり
談合社会の中に入って仲間になれという圧力が、日本社会のありとあらゆるところでとても強い
Information wants to be free
相転移」ってその前の秩序が全部消えちゃうんですよ
情報だけでなくて、モノをもたない、ということのほうが正しいと思っている人がいます
すごい手ぶらな感じの人たち
われわれの脳自体が、まさにウィズダム・オブ・クラウズだということです
集団のウィズダムが重要になってくるというのが、論理の必然
イナーシャ(慣性)が結構大きい
僕は子供がいない
僕はインターネットの世界の出現を、「もうひとつの地球が生まれようとしている」ととらえています

……とまあこんな感じでした。意味不明だが自分には良い。中には頁折り曲げたほどに印象に残った言葉もある。茂木さんも評していたが、梅田さんの言葉の表現力と言い切りは光る。

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)