あおもり犬

青森から帰ってきた。時間が少しだけできたので思い立って奈良美智を見に行く。
初めて眼前に見たあおもり犬……

それは大きく設えられた方形の窪みに縮こまっているようにみえた。
その大きすぎる頭蓋、のっぺり卵細胞のようにフラットな「こうべ」を持ち上げれば、高い高いつがるの春、青空の下地平の360度が広がるが、お前は大きく設えられた方形の窪みに縮こまっていた。下半身は太古の土中に埋もれ、前肢わずがに浮遊、内臓のない胴体、真っ白な内部。その内部を見つめ続けよ。その外部を空白として貪れ。
出会うその地点から古代が蘇る。
世界は決して……


ぱっと見、世界は完膚なきまでに分断されているようだが、その氷のような分断と個々の想念潜勢の位相が世界で意識に上っていると聞いた。氷の分断が緻密なほどにその意識は最終局の覚醒に近づくとアジられた。情動の必然で世界がそう転化する止めようのない永久運動が加速する。その地点があると説く父性は何か。翻って歴史の必然を無効にする母性って何か?眠れるミューズ、シャガールの恋人たち、いやムンクの叫び、無音から絞り出される見えないこだま……。さしあたりこの10年の固定化されたかのように見える情況は何か?人を眠らせない負圧はどこから来るの?
walking alone---

オルタナティブはどこに行った?

buonpaese2010-04-20






ボクがこの世界にきた頃の有機農業は、オルタナティブといった風情も備えていて、取り上げるテーマも脱サラして有機農業はじめた若者たちの生き方なども多かったのだが、まあ、変わった。
振り返ると90年代前半から広く知られるようになったに伴い、間髪おかず農水省が、有機云々銘打って販売しとる農産物にけしからんと、ガイドラインつけましょと言い始めたのが93年で、それっておかしいじゃんと志ある(?)団体がこぞって反対と騒ぎたて。96ころかな、団体みんな集まってお祭りしたりして、はんたーい、反対と叫びつつ、政治家なんかも呼んじゃったりして、ボクもがんばれがんばってくださいなんて思っていたんだけど、ところが驚き、騒げば騒ぐほど、有機農業が含んでたまあファジーではあったけどいい香りだったオルタナティブの要素が、抜けていったんだ。
農水曰く、いやいやみなさんの生き方について云々してるんじゃないんですヨ、有機というコトバはですね、、まあ英訳しますとオーガニック、ですか?そのオーガニックは純然たる表示上の定義がなされねばいかんというのがヨーロッパやアメリカなど先進国では常識化されておりまして、ここのところ消費者からもですね定義ないのに優良誤認するからとクレームといいますか、あくまでもです、表示のことでありまして…。と団体代表そうかそうか、生き方とうぜんだよ自由だもんでも表示ですか、それはそうですね、でもやっぱほらあまり画一的になるのも何か良くない、でもまあ農水さん表示はそれはそれ、有機というか環境保全を進める観点ではこれは今の農業じゃだめだからなんとかしなくちゃいかんヨ。はいそこは当然ということで。表示とは別途考えていきたいと思いますんで別途のほうは検討会のメンバーになっていただくということで、表示のほうは何卒穏便にですね、お願いしますヨ。ん?それもそうだ、なかなか農水もしっかり考えてるじゃん…
ということだったかどうかは知らないけれど、とにかく96以降はこの件パタっと騒がれなくなったのは事実である。ばかりか、各団体の指導者たち、別途認証団体づくりの準備はじめたり、手のひら返すように「これからは欧米の基準を視野に運動せにゃいかん」と……明けて21世紀、各団体のWEBSITEは「有機JAS法って何?」と説明を始めてた!
おお官の狡知お見事。生き方自由にノータッチで権力温存のバーター既得権世界権力者が守り抜いてる、自由自由というけれど、この自由は自己責任と同義、要するに枠内に収めれば治安安泰あとは統計処理でそれこそ出し入れ自由にされちゃう。
世の中良くなったかい?0.18%の普及率で成功?フードマイレージ自給率に目先を変えるのはそこらへん?書類がバクハツ的に増え情報集約が進んだ一方ますます無表情にバカになっていったように見えるんだけど、オルタナティブはどこ行ったの?
…一応言っておきたかった。
まぁ、やっと見えてきたことはあるんだけど。

出発点再確認

buonpaese2010-04-17










ボクガblogなぞをはじめたのは2006年のころ。そのはじめのときの整理()が、実はいまでも生きている(ちなみにその頃のbloは当時のまま晒しっぱなしでトホホ)。
“おいしい村”という題名はもともと、僕が2002年のイタリアで出会った言葉“IL BUON PAESE”の(僕の)誤訳だ。この言葉は、googleの自動翻訳(イタリア語→英語)であたると“THE GOOD COUNTRY”となるのだから、日本語なら“善き国”とでも言うべきところだ。
その当時、僕はこの言葉にとても良い響きを感じ、直感的に“おいしい村”としてしまった。なぜか自分の心に落ちて定着して、その時点で新しく生まれた言葉、としておきたい。同様に“terroir”という言葉(フランス語)も勝手に“土地の記憶”と決め込んでいる。
僕は都会に住んでいて、“おいしい村”のような場所に暮らしているのではなく、だから“おいしい村にいらっしゃい”と誘っているのではない。この語感が誘う“何か”を探したいと思っている。見つかることのない場所かもしれないし、どこかでそんな場所に出会えたら、終の棲家と決め込んで、民宿 “おいしい村”、居酒屋“おいしい村”(屋台村か!)でも始めて老後を過ごすかもしれない。今のところは、この言葉にずんずん引き寄せられている真っ最中で、はっきりこれとは言えない状態ではあるが、たぶんフーコーの示すとおり、最初にディスクールありきなのではないかと断じて、この言葉が最終的に幻想で終わるとしてもよしとして、“おいしい村”をさがす心の旅を開始しようというわけなのである。
さてだいぶナマイキだが、転記してとどめたい……

〜考えよう〜
“おいしい村”が何を示すか、どこを目指すかを考える場所を考えた。特に範囲を決めず、僕の興味の流れる場所になる。言葉が生まれる場所が必要だからだ。空想でよい。ヘンな言い方だが想像力を“おいしい村”という命題で鍛えたいのだ。昔の記憶も取り戻しつつ、芸術や思想、そして評論の領域に自分の立脚点を取り戻す努力を再開したいのだ。少しずつ “おいしい村”とは何か、に言及して行きたい。
※現「おいしい村annex」→
〜料理をしよう〜
そして僕の身体が、思考だけでなく“食”も西欧化している意味を考える場所。日本と西欧を行きつ戻りつする僕の思考と“食”の嗜好。この嗜好についても範囲を限定しない。ただし理由付けはされていくだろう。なぜなら、確かに現代の“食”は自由極まりないが、僕の場合有機農業や環境問題など、相当に刷り込まれた体になっており、その狭い了見で食べ物を選択し、料理もせずに薀蓄を垂れている自分をどれだけ解放できるかを詰めて行きたいのだ。その呪縛からどれほど自由になれるかが“食”とりわけ自分で“料理”する行為により進むと思うのだ。思考と思考は矛盾しないことを考えていきたい。
※現main「おいしい村…il buon paese」→ [mono][koto]
〜旅をしよう〜
“おいしい村”は本当にあるのだろうか?幻想なのだろうか?身近な場所に現実の“おいしい村”も同時にさがす。できるだけ色々な風景、人、記憶を辿り、自分の想像の反対側から、実は“涙”したい。自分の想像力が挫折してもいいから、“泣くほどの”人や自然や風景、文化に、本当に出会うことを切望している。
実はシゴト上、もう15年ほど日本各地の農村を回ってきている。僕がこのシゴトに就いた当初に味わった感動もさすがに、様々に色褪せてきてはいる。その意味で時間はとても酷い。美しき農村の風景、額に汗する農家の方々。想像力が挫折する可能性が大きいのだが、その原点価値は不変として、もう一度“失われた環”を結びなおす。……ここが勝負の場所なのだと思う。
※現main「おいしい村…il buon paese」→ [toki][toko][hito]

……とまあこんな感じだ。

がび〜んイリネグ

ネグ










って意味わからんと思いますが、イリとネグ。
昔々その昔触発されたのが『脱学校』『脱病院』『生きる思想』『シャドウ』『ジェンダ』これがイリです。で最近やばいとグングンのめり込み始めてるのが『帝国』『マルチチュ』これがネグ。加えて高知の八さんちゆ〜先生、さらには上場企業の中でもがくボク(^^;
がび〜んとやばいのは、かなり瀬戸際っていう感じとアセリ。今年10月で恐ろしいことに誕生半世紀を迎えようとするボク、孔子によれば天命を知る年頃。て、天命!するとこの追い詰められた皮膚感覚がそれを示しているような気がしてここんとこ正直夜が長い。
思えば人生の転機みたいなものがあったとすれば第1回が10才1970大阪万博で流れていたオブラディオブラダ。これで結果進学校から美大転進に至ってしまった。第2回が30で運動に目覚め今の職に至ってしまった顛末。やばいと思う20年サイクルの予感に押し寄せられっぱなしで戦々恐々なのだ。今年終わると現職20周年ちゆ区切りのよさがいや増しに雰囲気を盛り上げてしまい、これまで付き合い酒は呑んでも家で一人かっくらうことのなかったボクが自宅酒量上昇中!!
状況まじめに今浮かんだコトバで整理するとすれば、防衛上の問題。それと、ゲイジュツが備える脱構築的才能と、才知としてのボーダーレス、共同幻想ではなく、世界共通イメージとしてのコモンズのありか輪郭明確化の予感、考えるのが得意でもパフォーマンスが苦手な自身への葛藤ならびに無目的官僚化社会の優秀成員が異常にプレゼンテーションスキル高いちう現状認識、極めつけはコスモポリタンという憧れ……
ってイリとネグ、やっぱ意味わからんですかね〜
なんとなくでいいのでわかる感触持った方、酒呑みましょう!

家族、料理、本、畑。巡る時間

buonpaese2009-08-17













3月3日の日記更新からなんと5ヶ月が経過した。

シゴトの部署が変わったのがきっかり3月2日の月曜日からだったから、それが理由で僕もblog辞めるんかなーなどと思ったりしつつ、正直とても気が楽な5ヶ月だったように思う。

それは日々の暮らしの肩肘張った部分が抜けた、とも言えるし、何のためでもない、自分の時間を生きているという自由な日々、とも言えた。日々はただ朝起きてカイシャに行き、仕事が終わったらウチに帰り、休める日はゆっくり休んで、家族とただただ楽しく過ごした。付き合いをほどほどにこなし、口角泡を飛ばす議論も必ずほどほどに、暮らしている意味は単純に、人と楽しく過ごすことや、息災を心がけることのように考えて、それもまたいいなーと。

この間の楽しみは全く、土日の料理を中心に巡っていた。そして月に一回は20冊ほども買い込む食べ物関係の本から呼び起こされるイメージに(特にツーキンデンシャの中)満たされ、思うに任せない自家畑の作物の世話に費やされて、そして今までになかったような健康と、食事を中心に交わされる家族との会話や、そんな日々の物語があった事を仲間との時候のあいさつに埋もれさせる、いわば無名の歓びに満たされて、時間が巡っていた。

仲間との会話では、まるで互いに何も起こらないことを確認しあう中で時が過ぎることで緊張を緩めてきたようだった。家族との会話では、極端にこれまでの距離感が縮まり、とても濃密な季節を共有しているように、笑顔が絶えなかった。いまこの時がどれだけ貴重な時間なのか、このような、瞬間でしかない季節をいつまで共に過ごせるのか、そしていつまた、苦しく辛いような時代を迎えるのだろうか、など、この時を過ごしている自分のこの時を、別の自分が眺めてもいた。

このような5ヶ月の巡る時間のすべてが、特にカイシャの時間とは全く分離されて、描ききることもせずに、僕の記憶に濃密に留まっているのだ。

森の農場

buonpaese2009-02-26











BM技術協会という生産者の団体で、農業をする若者に向けたセミナーが開催された。そこで向山茂徳さんという方()が、若い人たちに向けて話したこと。約1時間。ニワトリを飼い、森の農場を25年間かけてこつこつとデザインしてきた方。何度も聴いている話なのだが、まったく違って聞こえた。森の農場、というお話をまとめておく……

できるだけ自然に溶け込んでいきたい
森のなかに農場があるのか、農場のなかに森があるのか

腐植
森のなかにもたくさんある。自分の腐植と森のなかにある腐植。近所の森をぜんぶ歩いて、スコップ掘って1メートル。そんなに深くのすべてが腐植。毎年通うタカラの場所があります

森と水の農場。森とつながっている
僕の農場にはニワトリを飼っている

哲学、想い、思想とか、ああ僕はこんなことをやりたかったのだ。そう思いはじめて、農場も変わっていった。にわとりは にわとりらしく、ああこれが原点、そう思う

発酵。
そう、この考え方の一方に腐敗もあり、僕たちの道は、発酵に行き着く
森の農場。森をたずね歩くように、とうもろこしを巡って、世界を旅した
 
にわとりは にわとりらしく
にわとりを 元気にするには、おなかんなかに いい菌をどんどん。ニューサンキン コウボ カビ ホーセンキン、みんな発酵。それでにわとりを元気にする

堆肥。
そう 土のことも発酵だ
ブツリセイ カガクセイ セイブツセイ。バランスがいいと生きものが元気になって、病気、にもならない。僕ら、このことも考えてやらないと

森とつながっている僕の農場ではいろんな実験をする。ダイガク、センセイ、カガクシャ。ブツリセイ、カガクセイ、セイブツセイ。このなかのバランスが大事なんだ。そう、となりの牛屋さんから牛乳もらってきてヨーグルトをつくってまぜた。メンエキ、テイコウセイ、アミノ酸、バランスが大事なのです

農業とは
自然の法則をどう読むか
自然の法則を、頭んなかに、どうやって読み取るか?????

哲学、想いとか、思想
ああ 僕はこういうことをやりたかったんだな
農業とは産業か、文化か?うーんむずかしい、昔は自然塾、わけわかんない話、えんえん、やりもしたが。今は文化

森の精霊と熱帯雨林
自然療法の原点。原種の生まれる場所。いろんな原点がある、森という場所

農村には、人生の生きる喜びと、生きる術がある
農村というのは、人間が生きていくうえで、すばらしい価値があるよ。教えてもらった旅がありました。ブルゴーニュ、そして森。それは農業を産業ではなく文化として。日本も何十年かあと そういう方向に行くだろうけれど、たんに生産の技術ではなく運動、哲学、であったり。違うこと。もっと広い意味までを学びたい

文化としての農業、文化としての農業
文化としての農業って、何なんだろうか。人が集まる、ぶどう園に、東京の銀座に。自然塾はそうする。銀座でぶどう狩りしてもらったなぁ。もう二度はやりたくないが。桃の花の下、会議もした

……

さあてと

若いみなさんに向けて

* * * * *

農場は、自分の生き方を表現する場です。

情報を集める。
発想は異動した距離に比例する。
自分の目で観て感じる感性を育てる。
好きなことをする。
人のネットワークの構築。


仲間をたくさん、つくってください。